赤塚高仁ブログ

不思議な偶然

2018.11.09

 東京にお住まいの女性からメールをいただきました。

「エイトスターダイヤモンドの会報誌で赤塚様の木曜会が1月31日にあることを知りました。
最近いろんなネット検索で赤塚様のお名前に行きつくことが多く、
どのようなことをなさっている方なのだろうと思っておりました。
そうしているうちに、糸川英夫博士とのお話もでてきてますます興味をかきたてられました。
そして、何気なく日付を選んで読ませていただいたブログに「アンさん」のことが・・・
私は1988年にテルアビブで糸川英夫博士にお会いしたことがあります。
日本人の男性から「糸川博士って知っている?」と声をかけられ、
もちろん存じ上げていますと答えますと、これから会いに行こうと連れて行かれた先で、
先生を真ん中に酒盛りの真っ最中でした。
その中にアンさんがいらっしゃいました。
ポラロイド写真を撮ってもらい、「アンさん」と書いてどこかにあるはずです。
糸川先生はどてらを、アンさんは着物に割烹着で、一瞬自分がどこにいるのかわからなくなりました。
そのときにいただいた「日本テクニオン協会」の糸川先生の名刺が宝物です。
30年前の話です。
・・・(後略)」

 また、同時にこんなメールもいただきました。

「・・・実は、赤塚様とは30年ほど前に、小田原で近藤先生の一泊のわくわくセミナーで、
ご一緒させていただいております。畳のお部屋でごろんと寝てセミナーを受けました。
無添加パン屋さんの社長さんもご一緒でした。
毎月楽しい新聞、お便りをいただいておりました。
本当に大変お世話になりました。
ありがとうございました、心から感謝しております。
 ハッピーに生きる! と決めてネットを見ていましたら、
今日たまたま赤塚様のブログに出会いまして嬉しくなりました。
津市に住む友達のTさんに連絡しましたら、
なんと、赤塚様から家を建てていただいていたことが今日分かりました。
ご縁に驚いています。
メルマガとても楽しみにしています。・・・・」

5日間の出張を終えて会社に戻ると、
机の上には書類が山積みになっています。
その中に分厚い封筒がありました。
小学館の編集者のSさんからです。

 Sさんは、ノンフィクション作家Kさんと組んで糸川英夫博士の伝記を出版しようと、
今、東へ西へ日本中の糸川先生に縁ある人と会ってインタビューし、
資料を集めておられます。
私の所へも2度、3度と訪ねてくださっています。
東京でインタビューも受けました。
信州へ行って、丸子中央病院で丸山院長と会ってきたと手紙にはありました。
丸子町は糸川先生の終の棲家があり、
脳梗塞で倒れた後2年入院して、亡くなったのが丸子中央病院です。
丸山院長は、最後の最後まで糸川先生をケアしてくださった方です。
Sさんに、丸山院長は一本のビデオを貸してくださいました。
それをDVDにして送ってくれました。
そこには、「糸川先生を偲ぶ会」と書いてあります。
1999年4月・・・糸川先生が亡くなって2ケ月のち、伊東の温泉の名前がありました。
すぐに見ました。
20年の時が巻き戻されて、あの日の私が写っています。
黑い髪がふさふさして、眼鏡もない若いアカツカが壇上で話しています。
出席者はイスラエル大使、JAXSAの博士たち、今は亡き社長さんの姿もあります。

さて、
一見偶然に見えることが重なるとき、
その背後にある必然を見よう、とメンター本田健さんから教わっています。
「ライフワークを喜んでいきる」と決めた時から運命が変わりました。
イスラエルのガリラヤ湖畔での本田健さんの個人セッションで、
ライフワークを書き、
そこに本田健さん、舩井勝仁さん、旅の仲間に証人としてサインをいただきました。

「ヤマトとユダヤをつないで、最高の人生を送ります」

そう書いてあります。
「決めた未来しか実現しない」、と健さんに教わっています。
今日は大阪でヘブライ語の教室に出て、
土曜は北陸ご縁紡ぎ大学で5時間講演、
日曜日からイスラエルに行き、糸川先生が願っておられたイスラエルツアーを再開させるため、
ベングリオン大学とのご縁を復活してきます。
砂漠研究所にも行き、世界を救う研究がどれほど進んでいるのか見てきます。
新たなハイテクキブツと縁をつないできます。
エルサレムの第三神殿博物館も視察します。
大学側も6時間にわたるプログラムを準備して待っていてくれるようです。

 糸川先生が願っておられること、
また、私が願われていること、
果たして生かせてくださいと、神様に祈ります。

 

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