赤塚高仁ブログ

仕事納め

2016.12.27
「社長のブログはタイトルを見ても中身が分からないから困ります。
仕事のことも書いてくれないから検索サイトで引っかかるキーワードがありません」
と、スタッフに怒られながらも、今年も書き続けてきたブログです。
それにしても、確かに後から見ても自分でも何の話なのかわからないタイトルばかりですね~。
でもその時々、何かを感じてつけたのでしょう、そんなタイトル。
思うのですが、
もし何かの目的を持って書いていたとしたら、
こんなには長くブログを書き続けることはなかったでしょうね。
つれづれなるままに書き連ねてきた文章に一年間お付き合いありがとうございました。
もうしばらくお付き合いください。
何か大切なことに気づきそうな気がして・・・
ま、それはさておき、
赤塚建設株式会社の仕事納めの今日、大掃除をして一区切りをつけたいと思います。
この一年もいろんな出会いと別れがありました。
人間関係の問題は、終わることを知りません。
近い人、そうでない人、
ドラマのように登場人物が入れ替わり、立ち替わり。
出会ったころと関係性が変わってゆくのもよくあることです。
「相手が変わった」となじりますが、
もっと変わっているのが自分であることには気がつきません。
魚に水が見えないように、人には自分が見えませんから。
付き合いが長くなると、つい相手の欠点に目が行きます。
だんだん尊敬できなくなってゆきます。
いやなところを探すようになります。
では、どうすれば相手を尊敬できるようになるのでしょうか。
それは「常に相手のよい面を見つけること」でしょう。
好きになった時には、「あばたもえくぼ」に見えるようになっていますが、
やがて魔法が解けると、「あばたはあばた」に戻ります。
それでも、意地でもあばたをエクボだと自分の脳をだますのです。
 いいところを見つけるには、努力が必要なようです。
いやなところは、自動的に発見できますから楽です。
でも、それではこの世に生まれた甲斐がありません。
目の前の人を、自分の思い通りにつくり変えようとするのではなくて、
「相手はこういう個性があって、自分とは違うものを持っているんだ」と、丸ごと全部感謝して受けとめる。
そして、受け入れる。
それから、人間関係を受けて立つ。
 出逢いは芸術です。
相手のすばらしいところ、
社会のよいところ、
人生の楽しさを、自分の中で見出す訓練ができるようになると、
あれこれと批判、論評をしなくなり、お互いを認め合うことができるようになるでしょう。
きっと、それこそが世界の平和につながってゆくのだと思えます。
 ところが、
同じ言葉を他人から言われたときは、怒らないで踏み止まることができるのに、同じ言葉を妻から言われると、すぐに腹を立てる私がいます。
外では踏み止まれるのに、家では踏み止まれない(正確に言うと「踏み止まらない」)のは、「幼児性」があるからです。
甘えの構造であります。
また、打たれ弱いので、
先に口先で言い負かそうとします。
自分が傷つくのがいやだから。
夫婦は、「幼児性を克服するため」に存在しているのかも知れません。
家庭というものは、自分の思いを通す場所でも、甘える場所でも、ストレスを発散させる場所でもなく、
「幼児性を削って大人になる学びの場」でしょうか。
結婚をして、わがままが言える相手ができた状態になったとき、いかに踏み止まって相手を受け入れるか。
それを問われているのが「夫婦の本質」のようです。
おかげさまで、私たちは結婚から34年。
知り合えてから、51年。
今日まで生かされてきました。
でも、私の「幼稚性」の克服はまだまだです。
踏みとどまれません。
外面はいいのに、家の中ではワガママの化身です。
父親もそうだったんだなぁ・・・と、いまはわかります。
私たちが、この世界に生まれてきたのは
「人間関係」と「経済活動」を学ぶためですね。
その原点の原点の家庭。
そして、経済活動の現場。
すべてはここから始まります。
 一年間、赤塚建設へ通い続けてくださった社員さん。
本当にありがとうございました。
みなさんも、私の家族です。
会社も、人間性を向上させ、幼稚な自分から人に役に立つ大人になる学びの場。
 しっかり学び合い、成長し合い、魂磨きあって生かされてゆきましょう。
出会えて幸せです。
 仕事納め、一年ありがとう。
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