赤塚高仁ブログ

戦後日本を護ったもの

2019.12.14

 戦後日本の平和を守ったのは、
憲法9条だと本気で言う人がいるけれど、
断じて違う。

 絶対に違う!

そういう人の頭の中を覗いてみてみたいものです。

来年4月に100人、7月に50人
パラオのツアーを企画しています。
4月の100人は満席になりましたので、
7月のツアーの案内がアナウンスされたら、
迷わず、躊躇わず、手を挙げてくださいね。

ペリリュー島を歩いてみると、人生が変わります。

幅3キロ、長さ9キロの小さな島です。
米軍は「3デイズ、オア2」
・・・3日もあれば十分、もしくは2日で落とせるとナメ切っていました。

1万人の守備隊に対して4.5万人、
火力では200倍の戦力差がありました。
しかも、
米軍は上陸に先立って17万発の艦砲射撃、空爆を行い、
ジャングルは焼け野原となり、人間は誰も生き残れないほどの攻撃を仕掛けました。

守備隊長、中川州男大佐は島を要塞とし、
500か所もの壕を掘り、猛烈な爆撃を耐え忍びました。
そして、
日本軍は71日間持ちこたえたのです。

薄っぺらな小さな島です。
米軍の攻撃で2~3日で落ちると思うのが正常です。
耐え抜いて71日間戦い続けた日本軍が人間業ではないのです。

中川大佐はじめ、日本軍の兵士、
私の恩人軍医の上島先生もみな、生きて島を出られないことは知っていました。
しかし、
1日でも永く米軍を引き留めることが、祖国日本を護ることになるのだと信じました。
だから、
弾がなくなっても、
食料がなくなっても、
水もなくても戦い続けたのです。

島を歩いて確信したのは、
米兵は心底日本軍を恐れたのだということです。

「こんな人間業とは思えない戦いをする日本人とは、
 2度と戦いたくはない」

そう思わせてくださった先人たちの戦いぶりとその精神こそ、
戦後の日本の平和を護ったのです。

 中川州男大佐の慰霊碑には、こう刻まれています。

「人は憎しみでは戦えない。
 愛のために戦う」

英霊の願いは、戦いや復讐ではありません。
世界人類の平和であり、八紘一宇です。
それは、
天皇陛下の大御心を表すことでもあります。

 日本よ永遠なれと、祈りを込めて、英霊に感謝を捧げます。

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