赤塚高仁ブログ

昭和の日

2018.04.29

昭和天皇様のお誕生日です。
ありがたい日です。
祝日は、旗日です。
だから日の丸を揚げます。
でも、
町内で我が家だけです。
何故だか、ウヨクと噂されています。

昭和天皇がおられなかったら、
日本は滅びていたでしょう。
いや、
歴代天皇、お一方欠けても日本はありません。

125代続く、世界最古の王朝、
天皇の中で一番過酷な運命を背負われたのが
昭和天皇でした。

昭和という激動の時代、
310万人という国民を失い、
米国の植民地になろうとするところを、
国体を護持し、
日本をお守りくださいました。

1989年1月7日。
昭和天皇が崩御された日は今でも記憶の中に残っています。
テレビでは一斉に特別番組が組まれ、夜は街から灯りが消えました。
日本中で祭りは自粛され、
世界中の要人が弔問に来られました。

昭和天皇は、1901年4月29日に誕生しました。
「心身健康第一、天性をまげない、ものに恐れず人を尊ぶ、わがままな癖をつけない」といった幼児教育を受けたといいます。
学習院初等科に入ると日露戦争の英雄、乃木希典に薫陶を受けました。

戦争に最後まで反対していた昭和天皇は、
日本のみならず、世界の平和を祈る大祭司でした。

 「爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも」

戦後、日本にはGHQのマッカーサーがやってきました。
マッカーサーは、当初、天皇は戦争犯罪者として起訴されないよう自分の保守を始めるのではないか?と不安だったといいます。
しかし、昭和天皇に会ったマッカーサーは激しく心を動かされることになります。

9月27日。
ただひとりの通訳を連れ、マッカーサーの元を訪ねられた昭和天皇。
マッカーサーは、パイプを加えたままソファーから立ち上がろうともしなかったといいます。
「どうせ命乞いに来たのだろう。」と思っていたのでしょう。

しかし、昭和天皇は、マッカーサーと挨拶を終えるとこう伝えました。

「私の命令によって全てが為されたのだろうから、
日本には戦犯というものはおりません。私はどのように裁かれても構わない。ただ、国民は住む家もなく、着る物も不自由し、食べるのもままならぬ状態です。どうか、この国民の衣食住のみはご高配賜れますように・・・国民を救ってもらいたい」

この死を伴うほどの責任を引き受け、国民を思いやる態度にマッカーサーは骨の髄まで揺り動かされたと後に語っています。

「私は生けるキリストを見た!」

敗戦後は、日本各地を巡幸され復興に励む人々と親しく言葉を交わされた昭和天皇。

普通、世界の国では、戦争に負けてしまえば敗戦国の王は、殺されるか、国外追放されるのが一般的です。 それなのに日本の天皇は、戦後たいしたお供も付けずに無防備なまま各地を巡幸している。
これは、他の国から見るとかなり驚きであったようです。

「ヤマト人への手紙・愛蔵版」には
昭和天皇戦後の御行幸のこと詳しく書き足しました。
ご一読ください。

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