赤塚高仁ブログ

いらないことで悩むのはやめましょう

2018.04.28

 私は家が建築業でしたから、
建築家にならなければならないと考えました。
建築家になるためには、建築の勉強をしなければなりません。
ところが、
中学のころから数学というものがまったく分からず、
関数と言うものも理解できませんでした。
もちろん成績はひどいものでした。
つねにビリから5番以内でした。

 高校に進学したとき、数学はやはりできず、
理科系に進もうとしている同級生の中でビリでした。
医者や教師になろうとしている連中ですし、
東大・京大にも進んでゆくやつらです、
数学が「好き」だというのですから差は開く一方です。

建築科は、工業大学か美術大学がありましたが、もはや行く学校がありませんでした。
微分積分、まったくわかりません。
微分のことはビブンでしなさい、といわれても自分にはできませんでした。

先生も、両親も大いに悩みましたが、
私はあまり悩みませんでした。
関数も微分積分も直感的に「人生に必要無い」と感じたからです。
うちの両親も、微分積分何も知りませんが、
立派に商売しています。
親戚で三角関数分かる伯父も伯母もいませんでしたが、
みんな元気に生きていましたから。

 やはり、案の定、世の中に出てから一回も微分積分、関数、方程式使わないで生きて来れました。
先生より私の方が正しかったのです。

先生は、「これができないと困る」と言いました。
どうして困るのか、分かりませんでしたが、
私は、「できない」のではなく「いらない」と思いました。
ま、できなかったとも言えますが。

 それから英語くらいできないと困るよ、と先生は言いました。
これからの時代は、英語が話せないとこまると英語の先生は言いました。
私は、英語の成績も数学に匹敵するほどひどかったです。
授業が面白くなかったので、勉強しませんでしたから。
ところが、
私は、困ったことがありません。
英語のできる友達がいっぱいいるし、イスラエルに行くときは舩井の勝ちゃんにひっついて歩いてますから。
(ちなみに勝仁さんは英語ばっちりです)
ロサンゼルスにも会社を作ったことがあります。
余談ですが、
英語が話せないと困るよ、と言った英語の先生、
外人の教師が来た時、英語通じませんでした。

直感と言うのは大事なもので、
それが自分に必要かどうかわかるのですね。
逆に、必要なものなら「好き」になるようにできているようなのです。

 私は、国語と日本史は旺文社の全国模擬試験でトップになったことがあります。
英語と数学はほとんどビリでしたから、トータルでは平均以下でしたが。

 国語と日本史を、早いうちに先生や両親が褒めて伸ばしてくれたら、
どこかの大学の教授になっていたかもしれません(これは冗談です)
でも、日本史がトップになっても、

「お前は数学がダメだ、日本史なんかでは食べていけない」
と、徹底的に自信を失くさせられました。

 でも、自信を失ったり、出来なかったことは、世の中に出てから使ったことがありません。
私に必要がなかったのです。
微分積分、できないけれど、建築会社の社長を30年やってます。

 自信がなくなり、自分はダメだと思ってきましたが、
今、日本史と国語が私の人生を支えています。
なんと、本もたくさん書いています。
今回英語の本の翻訳本「聖なる約束5」を出版しました。

 うちの寛子さんは、学校で一番足が速かったのに、私はビリでした。
でも、これまで走って逃げたこともなければ、今では寛子さんより私の方が速いです。

 平安に生きていくためには、必要なことは必ずできるようになっていて、
できないことは必要のないことなのだと知ることですね。

 あれができない、これができない、ダメだダメだと全速力で不幸せになるよりも、
できることを使って、目の前の人を一所懸命喜ばせる。
それだけで人は幸せになるように、神様は創ってくださっています。

 私は、年間100回近く講演しています。
大勢の人に向かって話をするわけです。

 寛子さんと同じ小学校でしたが、私は先生の話を聴かないものですから、
いつも最前列に座らされ、
それでも後ろを向いてみんなを笑わせていたので、ついに、先生の横に座らされました。
しかも、
みんなの方を向いて、授業を受けていました。
だから、
常に大勢の人の方を向いて過ごしていたのです。

 神様は、私の将来をちゃんと知っていて、備えてくださっていたのです。
感謝ですね。

 できない、と思わないで「いらない」と知りましょう。

こんな自分の話、笑いながら楽しくしゃべって、
聞いてる人も楽しく笑えたら、それだけで人生は成功だな、と思ってしまうのです。

さて、今日は岡崎で講演です。
出来ない自分を直すより、出来ることで人を喜ばせましょう。

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