赤塚高仁ブログ

聖書をやまとこころで

2018.12.17

熊本講演は4時間の長丁場でしたが、
途中15分の休憩だけで駆け抜けました。
映像映す用意もしていたのですが、
喋りだけで通しました。

20名ほど制服の高校生が参加してくれたのは嬉しかったですね。
先生が、教科書では学ぶことの出来ない国史に触れさせたいと、申し込まれたそうです。
姿勢を崩さず、4時間真剣に聴いてくれた学生も偉いけど、先生も立派です。
話す方も力が入ります。
素晴らしいやまとこころのキャンドルサービスの場となりました。

ところで、講演会でイスラエルや聖書の話しに関心を持ってくださる方が増えています。
とても有り難いことです。

初めて私に聖書を伝えてくれたのが糸川英夫博士でした。
ちょうど30年前のことでした。

ロケット博士がどうして聖書?
初めは全く分かりませんでしたが、
29歳の私に糸川先生が言われたのは、

「聖書はキリスト教の経典ではありませんよ。
人類の知恵の書物です」

この教えから私の新しい歩みが始まったと言っていいでしょうか。
やがて私は、学問ではなく、知識でもなく、
宇宙創造のエネルギーの霊感の書として聖書が迫っ
てくる体験をします。
シリアのダマスカスでパウロの声を聞いたり、
エルサレムや、ガリラヤ湖畔でイエスキリストの幻を見せられたりもしました。
 それでも私は、教会に通ったり、キリスト教の信徒になったりはしませんでした。
神学や知識が欲しいのではありません。
神の声に聴き、本当に大切なことを知りたいと願ったのです。
ユダヤ人であったイエスの教えは、ギリシャ、ローマの西洋文明に毒されて、変質してしまいました。
だからこそ、聖書の海に深く潜ってゆき、聖書はどのように真理を伝えようとしているか、
イエスは何を語ろうとされたのか、感じることです。
それを、やまとのこころで受け止めてきたのが私の聖書です。

糸川英夫博士の聖書の学びから30年、
聖書が生まれたイスラエルにも21回導かれました。
これまで800名ほどの仲間をイスラエルに案内し、現地で聖書を語りました。
足の裏で読む聖書と私は言っていますが、机の上には答えなど無い事は誰もがわかっています。
現地で聖書を読むと、聖地に吹く風が答えを運んでくれるのです。

今世界を動かしているのは聖書です。
アメリカ合衆国の大統領の宣誓式にも聖書に手を置いています。
あれは、リンカーンが使っていた聖書です。
聖書がわかると世界が見えます。

私は、どんなものも永久に続くことはないと
思っています。
どんなことも変化します。
何もかもが移り変わります。
だから、私たちも絶えず変化しなくては
ならないのです。
学ぶ、ということは、変化です。
学んだ唯一の証しは「変わる」ことです。
わかる は かわる、です。
学んだことで、自分は変わります。
昨日まで信じていた価値観から抜け出せます。
旅出るのも、学びの場に参加するにも、時間を生み出す努力が必要です。
その努力が、時間を生み出す練習になります。
でも実は、学びは難しいです。
なぜなら、
自分が理解できることや、興味を持てることの中には、あまり学びはないから。
それは、自分の既知を肯定するだけの行為だからです。
学ぶためには、変化の勇気が必要です。
変化したくない人は学べません。
でも、変化しなければ本来あるべき自分の場所にはたどり着けないと思うのです。
一歩前の道を歩く。
「前例がないからやってみよう」
それが糸川英夫から受け継いだ、
最高の財産!

「知ってる、持ってる、それできる」の世界から、
「やってる、動いてる、それを生きている」世界へ。
聖書を少しでも理解できた時、
新しい風景が見えることは間違いありません。

私は教会に行ったこともないし、
ましてや神学を学んだこともありません。
そんな人間が聖書の講義をしています。
「学んだこともないのに、なぜ教えられるのか」
そうでしょう、宗教的知識は学ばなければわからないでしょう。
しかし、
私が伝えたいのは宗教ではありません。

魚に水が見えないように、
日本人に日本が見えないから、
聖書に学んで日本を知るのです。

山口県でも、熊本でも新たに聖書塾が立ち上がろうとしています。
私が願うことではなく、
私に願われていることが起こりますようにと祈ります。

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