赤塚高仁ブログ

諸行無常やね

2019.06.20

 5年に一度の不動産業の義務研修を受けに行ってきました。
宅建協会の役員をしていた時代もあって、懐かしいビルです。
でも、
この数年間は、御無沙汰をしていました。

 平成26年の法改正から、
「宅地建物取引主任者」という名称から「宅地建物取引士」
と、変わっていました。
「建築士」と合わせて、ふたつ「士」の資格を持つアカツカです。

朝の9時から、16時30分まで、
税金だ、建築基準法だ、民法だ、宅建業法だ、
挙句の果てに弁護士の先生が2時間半にわたって、判例の紹介。

父が建設業を開業しまして、その後を継ぎ、
私が不動産業を開業して30年になります。
建て物を建てる時も「所有権」を保存する登記、
不動産売買の時も「所有権」移転の登記、
ずっと「所有」というものに関わってきたのだなぁと、
しみじみ思いました。

 本当は、不動産の免許ももういらないのですが、
会社を残す以上、会長という立場でもう少し資格も必要なようです。

私は、不動産屋さんでしたが、
それでも
「土地は人間が生まれる前からあって、
  神さまから貸していただき、使わせてもらっているのだ」
と、考えていましたので、
「所有権」ではなく、「定期借地権」という事業を展開して、
全国のこころある不動産屋さんに指導していたものです。

 私たちは、何も所有できないし、
自分の肉体でさえ、定期借地のように借り物だと思います。
この世で得られるのは経験だけです。
そして、
この世のすべては、諸行無常、万物流転、すべてがみな変わる、
という聖なる約束の中に生かされているのです。

 私たちは3次元現象界、時間のある一方通行の世界に暮らしています。

だから、
「自分のモノにする」という所有という概念は、
社会のルール、人間が勝手に決めた約束の中での錯覚です。
どんなものも古びてゆき、私たちが得られるのは
「所有した」という「経験」だけなのです。

 所有という錯覚の中で、私たちは争ったり、嫉妬したりして苦しみます。
所有という概念は、宇宙の秩序に反するのです。

 所有者である「私」という錯覚も、命の期限がくればこの世を去ります。
だから、所有し続けるということなどあり得ないのです。

 私たちが、この世に生きている意味
それは、
変化を楽しみ、経験を得て、魂の成長をして再び命のふるさとに帰る旅の途中だということです。

 所有から解放され、
 貪りや、嫉妬と無縁の人生が送れたら素晴らしいと思いませんか。

 私は想像します。

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