赤塚高仁ブログ

足の裏で読む聖書

2018.05.18

イスラエルの旅は順調に進んでいます。
参加してくださった兄弟姉妹も、日頃日本で聞いているイスラエルと、
自分の目で見て、耳で聞いて、心に感じるイスラエルとのギャップにカルチャーショックを受けています。

エルサレムのハイライトです。
黄金のドーム、嘆きの壁、神域を歩きました。

ここしばらくエルサレムをめぐる様々な出来事の影響でしょうか、
いつになくセキュリティチェックは厳しかったですね。
ペットボトルのお水も没収されました。

旧約聖書、アブラハムが息子イサクを生け贄に捧げるため上った、
モリアの丘に黄金のドームはあります。
30年前は中に入れました。
ユダヤ教、キリスト教の聖地であるその場所は、
イスラム教徒にとっては、預言者ムハンマドが大天使ガブリエルに伴われ、
昇天したという聖地でもあるのです。
今は、
イスラム教が押さえていますので、
回教徒のルールで支配されているのです。
ですから、
異教徒が祈ることは許されません。

3年前のツアーで、一人の女性が何気なく、ふと、
黄金のドームに向かって手を合わせました。
私たち日本人にとっては自然な感情であり、
朝日を拝むような感覚だったのでしょう。
すると、
イスラム教徒の男性が物凄い剣幕で飛んできて、

「祈るな! 出て行け!!」
と、怒鳴ります。
まったく取りつく島もありません。
可哀想に、女性は泣いて謝っているのに、
イスラム男は尚も激怒しています。

何事かと、イスラエルの警官が飛んできました、
コリャどうしようもない、お手上げだという表情で、
「だから気をつけろと言っただろ」というようなことを言って、
私たちをイスラム教区域から連れ出しました。
もちろん、
そこでは聖書を持って入ることも許されません。

そこに行くときは参加者のみなさんに、
念には念を入れて、注意をします。
絶対に手を合わせないで、
瞑想しないで、と。
ところが、
翌年は、写真撮影で男子が女子の方を抱いたと、
イスラム教徒男が飛んできて怒鳴りました。
まったく宗教ってものは、不自由なものです。

この黄金のドームの前の広場、
聖書の中で、私が大好きな場面が描かれている現場でもあるのです。
一人の姦淫の女が、イエスの前に引きずり出される場面です。
ユダヤ教の律法では、姦淫は石打ちの刑。
イエスがどうするのか、群衆が見守るところ。

地面に何か書いておられたイエスが立ち上がり、
「お前たちの中で、生まれてから一度も罪を犯したことのない者から石を打て!」
すると、
歳とった者からそこを去り、
そして誰もいなくなった。
イエスは、その女に
「誰もあなたを罰する者はいなかったのか?
では、私もあなたを罰しない」と言います。
女は救われ、生まれ変わるのですが、
その女こそ、マグダラのマリアであり、
後に聖女として崇められるほどに浄められてゆきます。

60人の仲間たちを集めて、
その場所で聖書を語りました。
もちろん聖書は持っていけませんが、
私のiPhoneには聖書が入っています。
イヤホンガイドがありますから、小さな声で全員に届きます。

哀しみのマリア
慈愛のイエス
律法に縛られる人びと
まさに
2000年前のその情景が、
目の前にありありと立ち上がってくるようでした。

涙する仲間たち。

エルサレムの神殿で聖書講義をしたのは初めてでした。
そんな時間に恵まれたこと、
魂いっぱい感謝します。

今日は、エルサレムを離れ、
イエスの生まれ故郷ナザレへと向かいます。

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