赤塚高仁ブログ

ヤマト人への手紙 9

2014.03.13

 月刊 にんげんクラブ に連載させて頂いている「ヤマト人への手紙」第9回になりました。

このあいだエイトスターダイヤモンドで話したことを元に書きました。

テンプルビューティフルの光田親分が、ブログに書け!と言うので祝詞も書きました。

今月は聖書の引用は、祝詞に替えます。

 三日ほどお付き合いをお願いいたします。

 

 「天皇の島・ペリリュー」

 

 「汝命等(いましみこと)には、近き世の支那事変を始め、大東亜の戦に皇国の誉れを荷いつつ、懐かしき父母・兄弟を後に、大君の勅、畏み奉り勝ってくるぞと勇ましくも出征ち給いし益荒男に坐し、古の武士(もののふ)の諺の如く、額に矢は受くるとも背には弾は受けじと、大和心を振起し、大君のみ為、皇国の為と只一筋に奮い闘い、兜を焦がす暑さに耐え給い、肌刺し骨凍る寒さに堪え給いしも、霰と飛び来る弾の嵐に防ぎも敢えず、母の送りし寅年数えし千人針の帯を血に染め給い、必勝万歳と数多く書連ねて父の送りし日の丸の旗も打ち破られ給い、或いは剣を杖と立ち上がり、大君の万歳、一声高く、二声低く、三つは幽かに雄叫び給いて、冬の氷雨に散りゆくもみじの如く、勇ましくも雲生屍と神去り給い、弾丸も尽き、米尽き、煙草無く、水さえ尽きし洞穴に、雨露凌ぎ、虫けら食いて、あたら悲しく玉の緒絶え給い、或いは傷つき倒れて薬なく、篤き病に手当なく、懐かしき母の名呼ばいて淋しく草葉の露と散り果て給いし等、御国の力に限りしあれば、果たし無くも破れ去りぬる皇国の姿こそ、口惜しくとも口惜しく、痛ましくとも痛ましきことの極みなりけれ・・・・・」  ペリリュー島慰霊祭にて坂本神官の祝詞より

 

オレンジビーチの砂

 

三重県名張市、近鉄名張駅前に吉住小児科があります。

院長、吉住完先生の妻、佳代子さんのお父さん、故・上島英義先生が開院された小児科医院です。

上島先生は、大阪大学付属病院の勤務医として多くの子供たちを助けてこられました。

その後、故郷の名張で開業医として休む間もなく働き、寝る間もなく往診し、時には親を失った子供をわが子として育てられた素晴らしい医師でした。

神の手と呼ばれていた上島先生の手は、医療機器では発見できなかった小児がんを、触診でいくつも発見し小さな命を救いました。

縁あって、私は吉住佳代子さん、完先生、上島先生と家族同然のお付き合いをさせていただいてきました。

ある日私は、上島先生の書斎の机に砂の入った瓶を見つけました。

「先生、この砂はなんですか?」

しばらくの沈黙ののち、上島先生は静かにこう答えられました。

「赤塚君、それはパラオはペリリュー島のオレンジビーチの砂や」

「オレンジビーチの砂?ずいぶんロマンチックな浜辺ですね、先生」

それには答えず先生は、

「僕は、ペリリュー島で軍医をしていたんや。戦争中な」

「え、軍医?」

「そうだ、大変な戦いやった。 戦友たちの、軍医どの!軍医どの!という声がいまだに耳から離れんわ」

なぜかそれ以上は語ることをされなかった上島先生でした。

ただ、「もう一度、ペリリュー島に行きたいんや、もう一度」とつぶやくように言われたことを思い出します。

 

たったひとりの生き残り

 

 上島先生の長女であり、私が姉のように慕う佳代子さんにペリリュー島のことを聞いてみました。

戦争から帰った上島先生は、生き残ったことが申し訳ないと時々口にされたそうです。

先生が着任したペリリュー島は、玉砕の島であり、三重県からパラオに渡った兵隊の中で上島先生はたったひとりの生き残りだったというではありませんか。

そんなところから帰って来られたなんて、どんな壮絶な体験をなさったのでしょうか。

戦後、日本は悪いことをしたひどい国だったと教育され、戦地で命をかけて戦った人たちをまるで犯罪者のように扱いました。

だから、戦争の話をすることはいけないことなのだと思わされていったのです。

上島先生もペリリュー島であったことを家族にも話すこともなかったのでした。

 しかし、もう一度パラオに行きたいとあれほど強く願っていた上島先生は、名張の病院で思いを果たさぬまま天に帰ってゆかれました。

やがて、「お父さんをペリリュー島に連れてゆく」

そんな佳代子さんの一声でパラオ行きが決まりました。

それで上島先生の遺骨を抱いて、日本から南に約四千キロ、西太平洋に浮かぶパラオ共和国を訪ねたのです。

二〇一〇年パラオの十六回目の独立記念日に合わせ久保宮司を団長として出発しました。

松阪市飯高の水屋神社には樹齢千二百年の楠が御神木として祀られ、その宮司の久保憲一氏はパラオと親交深く、

諸島の一つペリリュー島にある神社にさざれ石を寄贈したことでも知られています。

魂の根っこから揺さぶられる慰霊の旅が始まりました。

 

 

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