赤塚高仁ブログ

アンさんの告別式の日に

2015.01.12

 早朝の下呂は驚くほどの寒さで、駅まで歩く間にすっかり凍えてしまいました。

喪服を着て、名古屋乗り換え、東京に向かいます。
とうとう アンさんとのお別れの日がやってきたのです。
27年前、初めてアンさんのお宅にお邪魔したのがつい昨日のことのようです。
糸川英夫博士が、命をかけて愛したアンさん。
イスラエルとの架け橋となった糸川先生を支え続けたアンさん。
告別式には、
JAXAの的川博士、秋葉博士、林先生、
アンさんが可愛がった鬼太鼓座のメンバー、
良平・公平、イチタロウ、
バイオリンドクター中澤さん、
アンさんのことが大好きだった兄弟姉妹が世田谷に集合します。
私は、弔辞を述べさせていただきます。
原稿はありません。
この世を生き切り、不自由な肉を脱ぎ捨て、
光の國に帰ってゆかれるアンさんを送り出し、
再び会うまでのしばし別れのご挨拶。
きっと言の葉が降りてくることでしょう。
  出会いと別れを繰り返しながら、私たちはそれぞれの願いを目指して歩く巡礼者でしょうか。
願うことより、願われていることを果たす人でありたい。
アンさんは、無私の人でした。
地位や名誉や権力に一切媚びることなく、
ただ、目の前の人の喜びのため命を使い切る人でした。
 自分がされて嬉しいことを人にするのよ。
 自分がされて嫌なことは人にしないのよ。
アンさんのシンプルな生き方をもう一度学び直します。
私の人生の師、アンさんこと岩泉定江さん。
私の人生に光と潤いを与えてくださってありがとうございます。
アンさんの教えを生きて、もうしばらくこの世の旅路を歩ませていただきます。
自分のことは一切口にしなかったアンさんのように、
私も自分を捨てて誰かのために命つかって参ります。
  再会を楽しみにしています。
アンさん、いってらっしゃい!
糸川先生がお待ちかねです。
 ぼくが  ここに  いるとき
ほかの  どんな  ものも
ぼくに  かさなって
ここに  いることは  できない
・・・ああ  このちきゅうの
うえでは
こんなに  だいじに
まもられているのだ
どんなものが  どんなところに
いるときにも
その「いること」こそが
なににも  まして
すばらしいこと  として
   まど みちお
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