赤塚高仁ブログ

残された時間を喜んで生かしていただく

2015.02.23

 伊予西条、伊曾乃神社での6時間講演会を終えて再び日常に戻ってきました。

往復900キロのロングドライブでしたが、懐かしい四国の風景がいろんな気持ちを呼び醒ましてくれたようです。

23歳で初めて宇高連絡船に乗って高松に着いたとき、なんとも心細い気分になりました。

 

瀬戸大橋の工事が始まる前、高速道路もなく、ジェット機の飛べる空港もなく、四国は巨大な島のようでした。

私が関わらせていただいたのは、それらの公共工事。

瀬戸大橋を渡ると、与島のとなりにある小さな羽佐島に立つ3つの基礎が私の会社の工区でした。

橋脚3つで51億円という仕事。

岡山の本州四国連絡橋公団にもしょっちゅう出かけました。

今では一瞬で通り過ぎてしまう伊予三島の的の尾トンネルも、3年がかりの仕事でした。

5年間、隅から隅まで走り回った四国4県は、私の青春そのものです。

88か所のお遍路もすべてまわりました。

 

その四国に講演に呼ばれて出かけてゆくこと、そこに自分の著書が並べられていること、

あのころの私に想像ができるはずもありません。

あれから30年、運命というものは実に不思議なものですね。

時の流れをしみじみと噛みしめることができたことも幸いでした。

 

 講演会の前に、伊曾乃神社で正式参拝。

御祭神は天照大神、四国で最も由緒のある神社の一つです。

講師、主催者玉串を捧げ、神の御前に頭を垂れます。

6時間の講演会なんて初めてのことですし、来られた70数名の方々もおそらく初めてのことでしょう。

私は、講師というお役を受け持たせていただきますが、それは何かを教えるためではありません。

いわゆる「先生」には3つの種類があるように思います。

ひとつは、「ティーチャー」

知識を教える先生。

このとき生徒は、先生を見るのではなく黒板を見ています。

次は、「メンター」

この先生は、一対一で生徒と向き合い、導きます。

メンターは、また別のメンターを持っているのも特徴でしょうか。

そして、もうひとつが「ガイド」

言いかえると、伝道者。

ガイドは、生徒と同じところに立ち、同じ方向を向き、行くべき方向を指し示す。

 

どうやら私は、この「ガイド」としての使命を与えられてこの世にやってきたようです。

だから、6時間、参加してくださったみなさんと同じバスに乗り旅するガイド。

そして、私という水路を通して流れる「何か」が一人ひとりに届くことを願いながら言葉を選び念いを乗せてゆく。

 

普段の90分や2時間の話ではできない、小惑星探査機「はやぶさ」の物語をたくさんさせていただけたことも嬉しかったです。

でも結局、話せば話すほど話し足りなくなるということもわかりました。

口数が多くても、言葉は足りないのです。

聞き上手な兄弟姉妹に助けられて、役を果たすことができましたこと、魂から感謝します。

場を備えてくださった主催者の近藤さん、ありがとうございました。

参加してくださった四国の皆さん、全国各地からやってきてくださった兄弟姉妹、感謝します。

6時間講演会で一番学ばせてもらえたのは、私です。

 

 改めて自分が、「ガイド」であることを忘れて、今の状態に満足しそうになることだけは戒めなくてはならないと思わされました。

つい、ティーチャーやメンターのように「教えよう」とする心が私にあります。

偉い人になったかのごとく勘違いして、調子に乗り図に乗る慢心の思いが私にあります。

もうこれくらいでいい、どうぞこのまま時が止まればいいと願う気持ちが私にあります。

でも、冒険する心を失い、慢心すると本来なすべき役割を果たせなくなってしまうのかも知れません。

みつだなおこの「天の支援がつくところ」にも書かれています。

http://caycegoods.exblog.jp/23547750/

いつも祈っていた

「私が願うことではなく、神様、あなたが私に願ってくださることが私に為りますように。

そして、それを喜んで行動できる、祝福の水路として私をお用いください」

イスラエルはピリポカイザリアで与えられたこの祈りを取り戻します。

 

30年という時間を感じさせてもらえたことは、想像以上に大きな気づきでした。

残りのこの世の旅路に限りがあるということをありありと体感させられたからです。

講演会というひとときの舞台ではなく、日常という奇跡の持ち場で神様の栄光を顕してゆかねばなりません。

まずは家庭で。

そして職場で。

人と出会う楽しみを、

分かれるときには喜びに。

今日も自分からいい日にさせていただきます。

 

 

 

 

 

 

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