赤塚高仁ブログ

陰徳ある者

2015.06.22

「ええことするときは、人に見られへんようにせんとあかんで。

せやないと、神様からのご褒美は受けられへんよ。
せやから、施しするときもええかっこしいがするみたいにラッパ吹き鳴らしたらあかんよ。
ホンマに言うとくけど、その人らはもう報いを受けてしもてるねん。
右の手がしてる施しを、左手にも知らさんように。
そやって、施しを隠しとると、隠れたことみてくれてはる天の神様は報いてくれはるやろ。
 また、祈る時にはええかっこしいみたいにしたらあかんよ。
あの人らは、人に見せよとして会堂や大通りのつじに立って祈るのが好きやねん。
ホンマに言うとくけど、あの人らはもう報いを受けてしもてるねん。
 もしも、あんたらが、人のあやまちをゆるしたら、
あんたらの天の神様も、あんたらをゆるしてくれはるやろ。
もし、人をゆるさへんかったら、あんたらの神様も、あんたらのあやまちをゆるしてくれへんやろ。
 ほんで断食するときは、ええかっこしいみたいに陰気な顔したらあかんで。
連中は、断食してることを人にみせよとして、自分の顔を見苦しくすんねん。
ホンマに言うとくけど、その人らはもう報いをうけてしもてるねん。
あんたらは断食する時には、自分の頭に油塗って、顔を洗うんやで。
隠れたとこにいてはるあんたの父なる神に知られるためや。
ほな、隠れたことをみてはるあなたの父なる神は、報いてくれはるやろ。」
  関西弁訳・マタイによる福音書6章より
 にんげんクラブの懇親会で、ある方から「聖書の関西弁訳」を書いてくださいと言われたので書いてみました。
わたしは、聖書講義で、つい自分の言葉で語ってしまいます。
津の言葉です。
純粋な関西弁ではありませんが、生まれてからずっと使っている私にとっての標準語です。
講義に熱を帯びてくると、知らず知らずのうちに自分の言葉で説いています。
 キリストの幕屋という聖書の信仰の団体で学んでいた時のこと、
聖書講義をさせてもらう機会も多かったのですが、
「関西弁で話すのは、いかがなものか!? キリストに失礼ではないか」と弾圧を受けたことがあります。
事なかれ主義の私は、はい、と答え、ええかっこしいのふりをして東京弁で講義をしたものです。
ま、よーーー考えてみると
イエスは、関西弁で話してるわけないし、
そもそも日本語でも、英語でも話してるわけないで。
イエスはヘブライ語の中でも、ガリラヤ地方のアラム語という方言で話してたんやで。
ま、関西弁聖書を書くかどうかは別にして、
体裁や、思い込みを解き放ち、ホンマの熱が届いたらええんちゃうかなぁと思うねんけど。
ところで、断食や不食やとにぎやかやけど、
したい人は黙ってしたらよろし。
自分のことは、自分と天の父が知ってる。
それに、食べ物がこれだけ恵まれた時代なんてなかったやろ、
ペリリューの英霊達に申し訳ないわ。
 豊かさの中にあって、感謝できひんちゅうのが何より貧しい心とちゃうやろか。
何か大切なもの、おき忘れたまま走ってしもてるちゅうか、
食物自給率が4割切ってる国やちゅうこと忘れてしもて、もっともっと貪るエゴちゅうか、
ちょっと立ち止まって、大事なこと思い出さんとあかんと思う
と、いうわけで榎木孝明さん、30日の断食ごくろうさんでした。
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