赤塚高仁ブログ

自分の闇を見据えるということ

2015.09.27

 仲秋の名月

夜なのに明るい、月の光を浴びながら歩いていると
忘れかけていた遺伝子に書き込まれていた記憶まで思い出される・・・そんな気がします。
夜明け前、ブログを書こうと起きだして、
ふと、西の空を見るとビックリするほど大きなオレンジ色の月。
沈みゆく月
やがて昇ってくる太陽
今日という日が恵まれたこと感謝して、思わず手を合わせます。
このブログをアップしたら、海まで走って
いっぱい空気を吸ってきましょう。
 さて、この強烈な月の光
実は、太陽の光ですね
太陽の光を受けて、輝く
きっと、私たちの心も光をうけて輝くのでしょう
誰でも心に闇を隠しています
それを見ないふりをするのが
「プラス思考」かも知れません
だから、続きません
闇をいけないものだとしても、闇は心の中にあるのです
闇を観るのです
闇に降りるのです
そして、意識して観るのです、自分の闇を
自分はどれほど犠牲者元型の闇にどっぷり浸かっているかを知ることで、
怒りまくっていた自分に気が付けます
やがて、自分、相手、世間を許しまくることができるでしょう。
自分はどれほど子供元型の闇に自らを明け渡し、言い訳と正当化に明け暮れしているかを知ることで、
どちらかの選択を迫られた時に難しい方(リスクの高い方、冒険する方)を選ぶ能力を磨きあげる機会に恵まれるようです。
子供の影は、いつもすべてを投げ出したくなってしまいますから。
自分はどれほど売春婦元型の闇と同一化し、損得・好き嫌いの人間関係で疲れ果てているかを知ることで、
自分の腹の底から込み上げてくるメッセージ、声を傾聴しはじめることができるにちがいありません。
「食べるためだから仕方がない」というのが売春婦の影。
本当の自分の声は、喜びに満ちています。
そして自分はどれほど過去の出来事に脳裏を占拠されているかを知ることで、
過去の記憶から自らを解放し、今を生きることができるのです。
 最強の闇
潰し屋の元型も、「どうせ無理」といつも自分を潰しに来たけれど、その存在を知ることで、
それが自分の性格ではなかったことに気づけます。
潰し屋は、光を放ち・・・突如、「冒険者」に変容するのです
 闇の正体は、光だった・・・
闇こそ、私のエネルギーの源だった!
 闇に降りて光を生きる!!
今週は、このことを意識して歩いてみます。
 さあ、海に行ってきます。
今日は、東京へ。
明日から、伊勢の皇学館大学後期の授業が始まりますから、始発の新幹線で戻り、
夕方から京都で、出路っちゃんと、勝仁さんとの会合であります。
 今週もすてきな時が流れます。
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