赤塚高仁ブログ

ヒッピーに捧ぐ

2016.01.26

 2009年5月2日、忌野清志郎さんが死にました。

58歳でした。
7年前のことです。
 信じられないような思いで、それからしばらく過ごしていたのを覚えています。
東京に住んでいた頃、渋谷の屋根裏という小さなライブハウスから一気に武道館まで躍り出た、
RCサクセションと清志郎さんをずっと見ていました。
ほぼすべてのコンサートに出かけたものです。
日比谷野音で聞いた「スローバラード」は、いまでも夕暮れの風の匂いまで思い出せます。
清志郎さんが死んだあと、名古屋で愛する兄弟デミチ雅明と飲み、
キヨシローの話になって、カラオケに行った時のことです、
忌野清志郎が降臨したのです。
スピリチュアルな話に思われるでしょうが、本当に、確かに清志郎さんが来たのです。
映画「ブルースブラザース」で二人に電気ショックが落ちた場面のように。
こればかりは二人のあの状況を言葉で説明するのは無理かもしれません。
全く同時にこう言いました。
「バンドをやろう
  キヨシローの曲だけを演奏するバンドを
 清志郎が伝えたかったことを届けよう」
49歳の私と、42歳のデミチ・・・それから仲間が集まって演奏が始まりました。
本当にバンドを組んで、ギターも練習して舞台に上がるようになりました。
学生の頃に少し弾いたことがあるとは言うものの、26年ぶりのコンサートでした。
京都のヒューマンフォーラムの本社ビルにあるスタジオにこもり、
仕事を終えてから夜中まで繰り返し練習しました。
 バンドのメンバーもみんな仕事をしてる社会人で、独立した素敵な仲間たちです。
それぞれの人生が重なり合い、想いが音に乗って飛んで行く。
講演会で伝えきれない「熱」を届けることができるのが、この「MCサクセション」というバンドのなのです。
 今回、2月6日京都御所の隣にあるKBSホールでコンサートをします。
京都で7年ぶりの復活ですが、今回是非聞いていただきたいのが
「ヒッピーに捧ぐ」という、忌野清志郎さんの初期の曲なのです。
 歌いたい曲がたくさんあって、いっぱい曲を書いても仕事がさっぱり来ない時期の清志郎さん。
彼の古くからの親友が、清志郎の才能を信じ、マネージャーとなります。
みんながヒッピーと呼んで、誰からも愛されたマネージャーでした。
仕事がないことを苦にして、朝から晩まで走り回っている間にヒッピーは心を病みます。
やがてヒッピーの心は「鬱病」に蝕まれ、ある日電車に飛び込んで、突然の別れがやってくる・・・
  「お別れは
   突然やってきて
   すぐに済んでしまった
   いつものような
   何気ない朝は
   知らん顔して
   僕を起こした
   電車は動き出した
   豚どもを乗せて
   僕を乗せて
   次の駅で僕は降りてしまった
   
   30分泣いた
   涙をふいて
   電車に乗り込んだ
   遅刻して
   ホールに着いた
   ぼくらは歌い出した
   君に聞こえるように声を張り上げて
   空を引き裂いて君がやってきて
   ぼくらを救ってくれると言った
   検死官と市役所は君が
   死んだなんて言うのさ
   
   明日また楽屋で会おう
   新しいギターを見せてあげる」
この世と、あの世の境がどこにあるのかわかりませんが、
なんとなく全てがつながっているような気がしてなりません。
今も講演会の一番後ろの席を見てしまいます。
私の大好きだった、島村不二夫さんがニコニコ笑って座っているような気がして。
ヒッピーに捧ぐは、私にとって「フジオに捧ぐ」でもあるのです。
やがて私も不二夫さんや、糸川英夫先生が行かれた世界に旅立ちます。
そして、それはこの世に生きているすべての人たちのさだめでもあります。
どうして死ぬのか・・・それは、生まれたからです。
 今回、RCサクセションの清志郎さん自身もほとんど演奏することのなかったこの曲を取り上げます。
天に帰って行った魂の兄弟姉妹に届くように、声を張り上げて歌いだすでしょう。
一人一人の胸に浮かぶ、先に行ってる仲間たちのことを想いながら一緒に歌いませんか?
 「ヒッピーに捧ぐ」
この一曲のためだけに京都に来てもらいたいと、私は本気で思っています。
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