赤塚高仁ブログ

インターネット

2014.02.24

 昭和34年生まれのワシらは、ちょうどもののないときから、ものが溢れるまでの

だいたいみんなを見てたような気がします。

まず、ワシが生まれ育った家には電話もテレビもありませんでした。

電話は、近所のおばさんちに借りに行きました。

テレビもそこでみせてもらってました。

そのうち家の前の駄菓子屋に、公衆電話がついたので、10円持ってかけにいきましたね。

テレビがワシんちに来たのは、ワシが幼稚園の時でした。

NHKのちろりんむらとクルミの木、ひょっこりひょうたんじま・・・鉄腕アトムが始まったのもその頃ですね。

風呂もマキで沸かす、五右衛門風呂。

風呂を沸かす時間もない時は、銭湯にいきました。

 

 自動車を持ってる家なんて、町内にほとんどありませんでしたから、

うちには、ラビットのスクーターとリヤカーがありました。

そのうちに、ダットサンのトラックがやってきたけど、

500メートル先の海に行く途中、3度もエンストしたのが蘇ります。

そのたび、車の前からクランクシャフトを差し込んでまわし、エンジンをかけるのです。

どの家にも、庭には井戸があって、水を汲むのは子供のしごと。

なんだかんだと、よくお手伝いしたものです。

 

 チラシはそうそう、よく空からセスナ機がばらまいてました。

空を見上げながら走り回るのですから、今なら危なくてしょうがないですね。

よく溝にも落ちたものです。

そのドブに、ドジョウやふなやメダカが泳いでいました。

チンドン屋が身体に宣伝くくりつけて、音楽演奏しながら、踊るように町内を歩きましたっけ。

ちんどんやさんについてどこまでも歩いて行くうちに、知らないとこまで来てしまい、とぼとぼ帰りました。

ちんどんやに憧れたワシの幼少期でした。

 

 コンピューターも初めて出た時から、ずっと見てきました。

ポケットベルが驚くべき情報機器だった。

携帯電話だって、肩から提げて、あっという間に電池は終わってしまうし重いし・・・

そのうち弁当箱みたいな携帯電話ができたと思ったら、いつの間にかいまやスマートフォン。

 

 この頃、しょっちゅうインターネットからのお問い合わせがあります。

赤塚建設のHP.しっかり隅から隅まで読んでくださっているのが嬉しいです。

こんな会社ですが、よかったらお話をきいてくださいと、ワシもインターネットからメッセージを発信しています。

不思議なことに、インターネットからのお問い合わせのお方が次々ご成約くださいます。

こんな風な縁の繋がり方で、関係が生まれ深まる時代となったのですね。

 

 どんなに時代が変わって、モノが変わっても、

決して変わらないものがあるのでしょう。

それを見つける旅を、人生と呼ぶのかも知れません。

 

 どんな風に媒体が変わっても、心が変わらなければ、つながってゆけるのですね。

観る人は見てくださっているということでしょうか。

チンドン屋のように、セスナがばらまくビラのように、

縁ある方に、想いよ届けと祈りながら、今日もこうしてブログを書きます。

 

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