赤塚高仁ブログ

伝えること、伝わるもの

2014.07.03

 「伝え方が9割」やったか、何割やったか忘れましたが、

そんなタイトルの本がベストセラーになってますね。

以前、私も日本一の工務店経営者から、その本をテキストにしたセミナーを受けたことがあります。

相手に「NO」を言わさない話術など、とても興味深く勉強になりました。

伝え方一つで、まったくちがう結果が生まれるのも本当のことかも知れません。 

しかし、何となく違和感を感じたのも事実です。
 あまりに多くの人が 「伝え方」に期待し過ぎだと思うのです。
  「なにかうまい伝え方があったら、
   もともとよかったこの商品はもっと売れるはずだ」
  と考えているひとがいっぱいいるから、そんな本がベストセラーになっているのでしょう。
 
 「伝え方」の研究をしよう、
  「伝え方」の技術を磨こう、
  「伝え方」のプロに依頼しよう、
  その考えのもとには、
  じぶんのところの商品やサービスは「よいもの」だ、
  という前提があるのかもしれません。

 あるいは、「自分は間違っていない」というおかしな思いこみがあるのではないでしょうか。
  
  コミュニケーションの時代だとか、
  ずいぶんあちこちで煽っていますから、
  多くの人たち「そういえば、そうだな」と、
  きっと考えやすいんだと思います。
 「伝え方」の上手な人のことを信じ、依存することもあるようです。

 あの人が言うのだから、間違いない。

 もはや思考回路は停止してしまいますね。  
  でも、その前にやることがあります。
  そのサービスや商品は、ほんとに「よいもの」なのか?
  そこをエゴをはなれて判断することでしょう。
  競合の商品のダメなところには、よく気がつき、
  じぶんの商品のいいところは、無理にでも探せる
  ‥‥という「色メガネ」を外して見て、
  そのモノは、そのサービスは、「よいもの」
  「おもしろいもの」「すてきなもの」ですか?
  ここの判断がおろそかだったら、
  「伝え方」だけうまくってもしょうがないでしょう。
  だって、あんまり魅力のないものが、
  うまいこと伝えられたって、(私がお客なら)買わないですもの。
 
 それは、「商品」や「サービス」ばかりじゃなくて、
  「わたし」という人間についても同じだと思えます。
  コミュニケーションより先に、「判断」だと思うのです。
  価値あるものの「伝え方」には、苦労は要りません。

 なぜなら、それは「伝わってしまう」からです。

 ひと月前に皇居勤労奉仕で、天皇・皇后両陛下と至近距離で向かい合い

 万歳三唱をさせていただいたのですが、

 言上げされずとも伝わってくる天皇陛下のお人柄、清らかさ、慈愛、強さ、そして霊の力。

 「伝える」のではなく「伝わる」ものの貴さが、いまでも私の魂の中で光っています。
 

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