赤塚高仁ブログ

フィーリング

2014.09.28

  去る8月に天に帰ってゆかれた、水屋神社の久保宮司。

口ぐせは、
「神道イズフィーリング!
   神道イズタイミング!!」
ニコニコ笑いながら、そう言っていました。
    そのころの私は、キリストの信仰にあって、「信じる」ことが大事なことと思っていました。
信じることに疲れた私は、12年通い続けたキリストの会から今年2月離れました。
その会は、原始福音といって無教会主義、聖書に学びます。
イスラエルに生まれたイエスの教えを、日本の魂で受け止めることを学びました。
天孫降臨の地も、神武天皇の足跡もその会で訪ね歩きました。
その会は、熊本で生まれ、世界中に信者があります。
イスラエルで最も有名な日本のグループでもあります。
私は、死ぬまでこの会にいるのだろうと思っていましたが、
離れてみると、また新しい発見があって、人生って素敵なものですね。

 そして、いま改めて 久保宮司がいつも言っていた
「神道イズフィーリング」 が、胸に染みるのです。
「信じる」世界から、「感じる」世界へ。
アタマからミタマへ。

 「信じる」宗教は、それぞれの信念のもとで正しいことを主張して対立を生み、争い続けます。
宗教の名の下で、どれだけの人が殺し、殺されてきたことでしょう。
殺すな!という教義を信じた結果、殺しあう矛盾。

 「感じる」宗教、神道を魂に刻み、生まれてきた私たちヤマト人が目覚めなければ、世界が終わってしまうかも知れません。

   阿蘇は、内部での噴火で収まったようです。
日本の各地で、目覚まし時計が鳴り響きます。
目覚め、自分のいる場所で、自分が生まれてきた意味を思い出し、
与えていただいたお役を果たして還りたいものですね。
   あの世に。

全く予定と違う、不思議な週末でした。
大分便が、何故か欠航となり一切の計画が変えられてしまいました。
昨日の京都のことは、また改めて書きましょう。
「信じる」から「感じる」へ、シフトしました。




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