赤塚高仁ブログ

あとがき

2014.10.04

 本を読むのを大変だと言う人がいますが、 多分 書く方が大変です。

ようやく 「聖なる約束」 校了しました。

読み返してみて、改めて一連の出来事がつながり、点が線になっていることに気がつかされています。

7年前に、今野華都子姉がエントリーされていたのに、そのときに行けず今回になったことも、

やはり必然としか思えません。

この本の発売は、11月15日京都での特別講演会からです。

11月1日、2日 横浜パシフィコでのSAKIGAKEフォーラムでも先行販売されるようです。

自分一人では、決して気がつけなかった新しい視座が生まれるという経験もさせていただきました。

舩井勝仁という、人の長所を瞬時に見抜き、すくいあげるという稀有な能力を持つ友との共著です。

彼の存在と、彼の文章によってひとりよがりの独断に陥ることなく、深く、広く、遠くまで届く本になったようです。

そしてあたたかく。

聖書のように2000年後に、語り継がれていますようにと祈ります。

 ひと足早く、この本の雰囲気を、あとがきの抜粋で感じていただければ幸いです。

 

 

  「 あとがき 赤塚高仁

 原稿を書き終えた今、これもまたひとつの旅ではなかったかと感じています。
そして、 旅は、どこへ行くかも大事だけれど、誰と行くかがもっと大切なのだということを、あらためてしみじみかみしめています。

糸川英夫博士は、いつもイスラエルの旅の始まりにこう話してくださいました。
「旅に目的は、持ちこまなくていいです。
それは、サングラスをして風景を見るようなもの。
色眼鏡をはずして、イスラエルを感じてください。
そして、この旅で、生涯通してつきあえる友が出来たら
旅は成功だったと言えるでしょう」

 
 人類が滅亡するといった危機説が叫ばれる中、博士は人類は生き延びるときっぱり言い切っていました。

「すべて生物は、逆境のときだけ成長する」

だから、本当の危機に直面する時、それを乗り越える過程で真の喜びを発見し、人類始まって以来の繁栄を築くことができると断言しました。
国土の60%が砂漠の国イスラエルは、ネゲブ砂漠に人が住めるようにするだけでも大変なのに、「全世界の砂漠に住む人の幸せ」のために研究と実践をしているのです。
糸川英夫が亡くなってすぐに、私は糸川博士の遺骨を抱いて仲間と共にベングリオン大学に行きました。

そして、これまでの友情に感謝するとともに、今後はこのようなツアーはできないだろうが、日本とイスラエルが手をつなぎ世界が平安へと導かれるという糸川英夫の預言の成就を願うと、ヘブライ語でスピーチしました。
すると、大学総長が私に飛びつくように抱きしめ、泣き出しそうな顔で、「イスラエルの研究施設を支えるのは、世界中のユダヤ人だ。

しかし、日本にはユダヤ人がいない。その日本で、イトカワが私たちを精神的に支えてくれた。

これがどんなに我々にとって救いであり、慰めであるかお前にはわかるか。どれほど誇らしいことかわかるか。

だから、お前はこれからもイスラエルに来なければならない」と言ったのです。
これは、私が願うことではなくても、私に願われていることなのかも知れないと感じ、その後も私はイスラエルツアーを続けてきました。

私がガイドするイスラエルは、他のどんなツアーとも違っています。目には見えませんが、真の愛国者であった、糸川英夫が同行する旅なのです。

 糸川英夫と共に旅した六度のイスラエル、糸川亡き後の六度目のイスラエルの旅は、いつしかこの本へと続く長い一本道となっていたようです。

共著者である舩井勝仁さんとは、20年ほど前からいろんな場面で出会っています。

しかし、本当の出逢いは今回の「聖書に学ぶやまとこころの旅」だったと言えましょう。

まさに、糸川博士が言われた、生涯つきあえる善き友との出逢いが生まれました。
10日間、イスラエルという異次元空間に放り込まれた時、人は自分勝手に創り上げた「私」という錯覚から離れ、本来あるべき自分の姿を垣間見る瞬間が訪れます。

日常を離れた、非日常の時空で本当の自分に出会い、また、魂の友と出逢うのです。

旅のさまざまな場面で、私たちは勝仁さんの言動に大きな感動を覚えました。

それは、ものごとの本質を瞬時に見抜き、それを言語化する能力のすごさでもありました。
以前に一度イスラエルを訪ねているとのことでしたが、実際には初めての旅といってもようようでしたので、勝仁さんの感じたイスラエルを多くの人に伝えてほしいとお願いしました。

勝仁さんが発信してくれたなら、イスラエルの正しい姿が多くの人々に伝わるだろうと思ったからです。

 旅から戻り、再び日常の海の中を泳ぎだすと、いつしか旅は思い出と言う名の生ごみのようなものに変質してしまうものです。

しかし、不思議なことにこの旅で受けた魂への衝撃はいまもなおここに燃えています。

今回の旅は、私が魂の姉と慕う今野華都子さんにイスラエルをどうしても見てもらいたいと七年間願い続けて実現したものでした。

そこで、旅の同窓会を今野さんが伊勢に開いておられる「やまとこころの道場・華雅庵」にて行ったのです。

その道場で、汲めど尽きぬ泉の如く言葉が湧かされ、この本がうまれることになったのです。

いま思えば、自分たちが語っているようで、語らされている感覚のようでもありました。
 勝仁さんは「その発信は赤塚さんがしなければならないものです。僕はそのお手伝いをしますから共著にしましょう」と申し出てくださり、本の執筆が始まりました。

それから今日ここまでの道のりは、日常を生きながら時空を超えた旅をするような、まさに糸川博士のいう魂を揺さぶる「カルチャーショック」の連続でした。

 糸川英夫は科学者でしたから、生涯「神」について人前で話すことはありませんでした。
目に見えないことを探求しつつ、科学者としての立ち位置を守り続けました。宗教家のように見られることを嫌った人です。

あるとき、私が、勝仁さんの御父君舩井幸雄さんの本に書いてあることと糸川博士の言っておられることが同じだというようなことを言ったことがあるのですが「あのトンデモない話をするコンサルタントと一緒にするな!」と猛烈に怒られてしまいました。それ以降、糸川博士の前で舩井幸雄さんのことを話題にするのはタブーになりました。
また、私の友人で、三重県桑名市の水谷精機社長の水谷康朗さんは、舩井さんに可愛がられしばしば本にも登場した人ですが、彼が舩井さんに糸川博士のことを言ったら、舩井さんも糸川博士を嫌っているようだと聞かされました。

実はきっと、お互いに気になる存在だったのでしょう。でなければ、あんなにむきになって怒ることもなかったはずですから......。
この世では、接点も少なかったかもしれない二人ですが、どうも今回のこの本は五次元世界から二人が手を組んで、働きかけておられるような気がしてなりません。

今回の旅も、聖なる約束にちがいありません。

出逢いも、聖なる約束でしょう。

そして、この本も聖なる約束であり、この本を手にとってここまでお読みくださったあなたとのご縁も聖なる約束です。

志を果たして、いつの日にか帰らん
 山は青きふるさと
 水は清きふるさと

旅が楽しいのは、帰るところがあるからです。
帰る国もない流浪の民、ユダヤから教えられました。
私たちの人生も旅だとすると、いつの日か帰るのでしょう。
魂のふるさとへ。
死んでも死なない永遠の命の旅をしている私たちの魂。
この世に生まれる前からあった聖なる約束。
ひとりにひとつずつ、大切な約束。
私たちが、願うことではなく、
私たちに、願われていることを果たして喜んで、元の場所に帰りましょう。

聖なる約束、
その、静かなうちなる呼びかけに魂をひらきつつ。

2014年10月●日 赤塚高仁 」

 

   こんなに素敵な本を書かせていただいて、ありがとうございます。

 編集の山内尚子さん、魂いっぱい感謝します。

 

 

 

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