虚栄心
大雨です。暴風です。
自然の前では、人は無力ですね。
でも、人の心の中の暴風雨は、ときとして死ぬほどの苦しみをもたらします。
自分を良く見せたいという想いは、謙虚な学びにつながることは少ないようです。
でも、人に役立ちたいという願いは、虚栄心を消し去って魂の向上となるのかもしれません。
人が不幸になるのは、実に簡単です。
自分を誰かと比べれば、瞬時に不幸になれます。
幸福感を誰かとの比較で得ようとするので、常に自分より不幸な人を探します。
しかし、この比較意識は終わりのない螺旋階段・・・果てしない地獄です。
虚栄心は、自分のことを等身大でなく、現実以上に人に評価されたとき「嬉しい」と感じる気持ちです。
それを喜び、見栄っ張りになってゆきます。
虚栄心が強く、見栄っ張りの人ほど、中身が何もありません。
ない中身を、より大きく、より豪華に見せようとするので、身の回りを虚栄心のカタマリで飾ります。
アパート暮らしの独身女性が、シャネルのブランド品を買いあさるのもその典型といえましょうか。
何千万円もする高級外車に乗る男性も、高級ブランドのバッグをぶら下げる女性も、虚栄心のカタマリでしょうか。
そこから抜け出すことが、天国への階段の一歩かもしれません。
まず、他人と比べることのむなしさを知ることでしょうか。
比較競争から降りて、人は人、自分は自分にしかない命を生きているのだと知り、
その等身大の自分で誰かの役に立ってゆく喜びに入れられることでしょうね。
だから、外見よりも内なるもの、知識や教養、知恵といった見えない美徳で豊かになることの方が、ずっと大切だと気づくのです。
隣りのテレビより自分ちのテレビが大きいと自慢するのでなく、
そのテレビで、自分を豊かにする番組を選択し、そこから得た情報を自分の向上のために活かし、人のために役立てることです。
これって全く自分のことですから、我ながら、よく半世紀以上も見栄を張り続けたものだとしみじみ思うのであります。
三重に生まれたからでしょうか。