宗教と言う狂気
12年間通い続けてきました「キリストの幕屋」を離れることにしました。
実に多くの学びをいただきましたが、そこから離れ、新しい視座を求めたいと願わされたからです。
宗教は、人には必要だと わが師 糸川英夫博士はワシに言ってくださったことがあります。
何故必要かとぃう理由はみっつあるのだと言われました。
ひとつには、宗教と言うものは目に見えない世界へと人間をつなげてくれる。
神が造ったこの世界には、人にはわからない見えない法則がある・・・それが、科学を発展させたのだと言われました。
ニュートンもアインシュタインも信仰があったから、あの発見ができたのだと。
二つ目は、人にはどうしても解決のできない苦しみが訪れる。
そんなときには、神に委ねるしか仕方のないこともある。
救いとしての必要が宗教にあるのだと。
三つ目が、人が見ていなくても神様が見ているという道徳心は絶対に必要なのだ。
ところが、真理を伝えたイエスの教えを無視したキリスト教徒は、人類史上最も多くの殺人をします。
インディオの破壊したヨーロッパのキリスト教徒のありさまはこんなふうだったそうです。
「インディオたちは当初、征服者たちを天から舞い降りてきた人々とみなして友好的に迎えた。
ところがキリスト教徒は、インディオの身体を一刀両断にしたり、一太刀で首を切り落としたり、内臓を破裂させたり、
その腕を競い合い、それを賭けごとにして楽しんだ。
母親から乳飲み子を奪い取り、その子の足をつかんで岩に頭を叩きつけたキリスト教徒もいた。
キリスト教徒は、次々と新しいさまざまな殺し方や拷問の方法を編み出して、数えきれない人々を生きたまま火あぶりにしたり、
めった斬りにしたり、拷問したりしていた。
また彼らは生け捕りにしたインディオを全員奴隷にした。
18,19世紀、イギリス人はオーストラリアのアボリジニを狩りの対象にしてスポーツ感覚で殺戮し、
アメリカ人はあらゆる手段を講じてインディアンから土地を奪い、直接・間接的に虐殺した。」
聖書の中の物語と何にも変わらず、人間は何にも進歩していないことがわかります。
宗教戦争のない我が国の素晴らしさに、日本人が気づく日が一日も早く来ますように。