赤塚高仁ブログ「これでいいのだ!」

サンキュー産休

2012年06月30日

17年前面接にきた大学4年生だった米川が、本島に苗字が変わり、一人目の子どもが授かって産休に入ったとき、ワシは困ったねーーー

部下というよりも、同志という頼りになる相棒だったから。

定期借地権事業は、前例がなく、大学出て間もない彼女を「テイシャクアドバイザー」にしました。

今でこそ、資格試験もある定借アドバイザーですが、そのときは、思いつきで名刺にそう印刷しました。

「社長、テイシャクアドバイザーって何をするんですか?」と聞く米川康子。

「そんなん今から考えんねん」と答えたものの、とにかく地主様まわり。

門前払い、断わられ続け、毎日どうやって断わられたかを記録し続けました。

今では、その記録が我が社の財産となっています。

100を超す断り文句の一つ一つ、全部どうやって答えれば安心して土地を貸していただけるかマニュアルを作りました。

康子嬢のすごさは、打たれ強さと根気強さ。

あきらかに地主様から断わられ、ワシはもうダメだ、もう行けないわ、と落ち込みかけてるそのとき…

「社長、今日は地主様少しご機嫌悪かったですね。明日は大丈夫ですよ」だって。

そして、また通いつづけ、ついには地主様根負け。

これから始まるU様の御宅、その土地は定期借地ですが、地主様に7年通いつづけた康子嬢の勝利の印であります。

バンクーバー、シアトル、ロサンジェルス、研修もいっぱい出てもらいました。

泣いたり笑ったりしながら走ってきた同志が、今日から半年間会社にいなくなります。

そういえば、車、激突されて「私死ぬのでしょうか」と電話かけてきたときはビックリ。

病院に駆け付けると、奇跡的に無傷。車は廃車。

そのときから、神様を感じる人生にも入れられたのでした。

 

 安心して出産し、喜んで働いてもらえる、いい会社にしますからね。

新しく生まれる子供達のためにも、神様が宿る家を伝え、広めて行きたいという想いが沸かされてなりません。

出逢いはいつも奇跡という風の中にあるのですから。

いよいよ建て方開始です

2012年06月29日

 昨日の雨で延期になったA様邸の建て方。

快晴の空のもと、本日上棟されます。

去年の暮、「魔法の家」完成見学会の最後の日の最後にご来場くださいました。

三重ふるさと新聞の広告を握りしめて、御家族で飛び込んできてくださったときの期待に満ちた表情は今も忘れません。

「生体エネルギー」のすずやかな空気。

「トリプル断熱」の快適な温度。

「自然素材」のやさしさ。

長く探していた家がここにあった! アトピーで悩む御主人も即決、「この家しかない」と。

それまで、どんなハウスメーカーの見学会に行っても、ものの数分で外に飛び出したそうです。

目が痛くなり、息苦しくて、とても中にいられなかったそうです。

「魔法の家」は、気持ち悪くなるどころか、滞在すればするほど気持ちが良くなってくる。

「こんなすごい家、みたことない」

身に余るほどの賛辞をいただいてA邸のプランはカタチになってきました。

 

 いよいよ姿があらわれます。

現場のすぐ隣に住んでおられる御両親の笑顔が、ワシらに力をくれます。

一日も早く、住んでもらいたい。

「魔法の家」からさらに進化し、よりいっそう住めば住むほど元気になる「神様が宿る家」

ワシがこの世を去るとき、そして、次の世界に行ったあとでも、この家はA様ファミリーを笑顔にし健康にしてくれることでしょう。

天から与えていただいた、「神様が宿る家」を一棟でも多く地上に残して、天翔けたいものです。

生きててよかった。  しみじみ、かみしめます。  合掌

両手なくした男の愛の物語

2012年06月28日

 「赤塚さん、元気にしよっと?」

なつかしい熊本弁。

大野勝彦さんからの電話です。

 

 初めて出会ってから、20年ほど経つのでしょうか。

 

「赤塚さん、忙しか?・・・なら、手ば、貸そうかね、いま三本余っとるけん」

 

 45歳まで、熊本でバリバリやり手百姓だった大野先生。

地域で最も大きなハウス農業をしてた大野先生。

力を誇り、鉄人28号と呼ばれていたくらい怖いものなしの日々でした。

自分は、何でもできる、強いことは良いこと、大きいことは良いこと。

弱い奴は、ダメなやつ。

だれの助けもかりるものか、自分は何でもできる。

でも、45歳の暑い日の午後、農作業中の機械に腕をはさまれて、両腕肘から先切断。

手が、なくなってしまいました。

いままで当たり前だったことが、当たり前でなくなってしまいました。

トイレに行くにも、誰かの助けがいるようになってしまいました。

人生が180度変わってしまったのです。

 

奥さんがメモに書いたひとこと

「これから私があなたの手になります」

子供たちの命がけの笑顔に救われます。

 

やさしさに包まれて、大野勝彦変身します。

絵も字も書いたことのない百姓が、義手に筆を持って描き始めた絵とことば。

魂の叫びが、人の心に風を吹かせ、その風が日本全国に吹きわたります。

それから、15年後、大野先生は、阿蘇の国立公園の中に数万坪の美術館をオープンさせることになるのです。

生涯絵を描き続けても、美術館を持てる画伯なんてそうざらにいるものじゃありません。

ましてや、45歳から絵を描き始めた両手のない画家。

奇跡の美術館が、熊本 阿蘇にあります。

 

「願いは叶うもの、思い強ければ」 いつも大野先生、そう言われます。

明後日30日、大野先生が京都で講演されます。

 

 会いにいってこよう。

ほんの少し、忘れかけていた、心に吹く風を思い出そう。

大野勝彦写真 

 

   

 

   

 

 

世界標準の風水セミナー

2012年06月27日

LA在住のViViアキコ先生の師である、ラリーサング老師の風水セミナーが東京で催されました。

澤田ファミリー全員集合です。

ラリーサング老師は、アメリカ風水研究所の創立者です。

アメリカの政府機関にも影響を与え、クリントンもヒラリーも友達の老師は、

風水の古代知識を紹介し、世間に広め、

風水を学んだ者が、正しい理論と法則を手に入れることに命を燃やしておられます。

その先生の講義を受け、エネルギーに直接触れることができるとは、なんとラッキーなことでしょう。

 

 二流の先生は、論理に訴えて人と接しますが、さすがに超一流の風水師は、気持ちのこもった言葉、仕草で聞く人を魅了します。

簡単なことを複雑に考えてしまうワシですが、老師は、子供でもわかる解決策を示してくださいます。

 

 澤田リーダーが、「先生の風水は、中国やアメリカだけでなく、日本でも通用するのでしょうか?世界中何処でも通用するのでしょうか?」と質問しました。

ラリーサング老師は、「良い風邪薬は、世界中のどの人にも効きます。本物の風水も同じです。」と。

 

シンプルですね。

環境が感情に影響し、思考を作ると考えがちですが、思考が環境を作り上げるのです。

やはり考え方が、すべてと言っていいでしょうか。

そのためにも、ホンモノの情報を求め、一流レベルに達しようという意欲を持ち続けたいものです。

 

懇親会、六本木

それぞれファミリー、弾けました

昨日よりちょっとだけ近づいた。

仲間がいること、勇気や

  

   出逢いはツキ

ツキが重なり運になります。

英霊にこたえる会

2012年06月26日

 四日市にお住まいの水谷弘さんと、佐藤さんが訪ねてこられました。

お二人は、英霊にこたえる会、三重県の会長と支部長です。

終戦記念日の基調講演をと依頼されました。

この会の全国会長は、アサヒビール名誉顧問中條高徳さんです。

二年前の基調講演は、この中條さんでした。

 

 水谷会長は、今年の終戦記念日に合わせて出版される著書をお持ちくださいました。

「学窓から戦場へ」航空無線通信士14歳の出陣

右手三本の指で、モールス信号を叩き、戦場で生と死の隣り合わせの中で、航空機の安全と誘導の任務遂行に精励されたのでした。

水谷様の体験した戦場は勝ち戦でした。

しかし、終戦の詔が流れて、勝組の日本兵から武装が解除されると、支那で捕虜となり艱難辛苦を舐めることになるのです。

1・軍人は忠節を尽くすを本分とすべし

2・軍人は礼儀を正しくすべし

3・軍人は武勇を尚ぶべし

4・軍人は信義を重んずべし

5・軍人は質素を旨とすべし

軍人勅語の御聖訓五箇条が、精神の要となり、大和魂を失わず、勝者に対しても卑屈にならなかったそうです。

悲惨な屈辱的な収容所での日々にあって、就寝前には全員整列して、祖国に向かい礼を正して誓ったのは、

一つ、国敗れても山河あり、耐え忍んで生還しよう、祖国の再建と復興の力となろう

二つ、敗兵であっても礼儀は正しく

三つ、武装解除されても、軍人精神は消失しない、勝者を恐れるな、侮るな

四つ、互いに信頼し、助け合い、軍規を守り、身勝手な行動はしない

五つ、質実剛健、力強く生きよう

と、いうこと。

いつのまにか、忘れてしまっている大切なことを、思い出しなさいと天が声を聞かせてくれているのでしょうか。

 

八月、暑い日、三重県護国神社にて、英霊にこたえる会、祈りをもって出かけて参ります。

縁は異なもの味なもの

2012年06月25日

 超体育会系テキヤ準構成員のおっさんとは、縁もゆかりも無かったはずのワシの人生。

人と人との出会いは、いつもいきさつを超えた目に見えぬ大きな力に導かれているのかも知れません。

ワシは、お金をもらって話をするのは大好きなのですが、お金を払って人の話を聴くのはごめんこうむりたいの。

でも、何の因果か、超体育系のテキヤのおっちゃんの弟子となり、経営の勉強をさせていただいてます。

明日からも風水のセンセの話し、二日間聞かせていただくの。

 

澤田ファイミリーの殴る蹴るの飲み会に耐えるためにも、夜中の二時に焼肉食べて、ココ壱のカツカレー食べるためにも、カラダを鍛えなければいけない!と思って、腕立て伏せをしたら何回目かで気が遠くなり、しばらくずっと痛かったので、これはカラダによくないですね。

走ってみたら、息が切れて、これもカラダによくありません。

だから、また歩き始めました。

伊勢の海まで500メートルの我が家から、海まで歩き、砂浜を裸足で歩きます。

3キロほどのウォーキングですが、自然と触れることで細胞がプチプチ目を覚まします。

安濃川の河口で祈り、時には、海に入って禊して祈ります。

「今日も目が覚めて、ついてます。生かしていただいてありがとうございます。

 日本よ永遠なれ!」と祈ります。

 

 体育会系のもっとも苦手な世界に50過ぎて入れていただき、老眼が進む中で、毎朝ブログを更新し、次々とお仕事もいただいております。

澤田さんからも、来年の世直しコンテストでは、7位までに入賞してくださいよとハッパかけられました。

目標の無い人生なんてつまんないよね。

と澤田さんに言われましたが、目標、信念、努力・・・ワシの辞書になかったことが次々目の前にやってきました。

勝ち負けに一切興味なかったし、負けてくやしい気持ちがなかったとは言わないけれど、産まれてこの方喧嘩に勝ったことがなかったものですから、負けない方法だけ考えてきました。

ワシが、発見した唯一の負けない方法、 それは、喧嘩しないこと。

戦わないこと。 争わないこと。

定期借地権事業も、だれひとりやってなかったからやりました。

澤田さんには、甘くてしょうがないでしょうね、ワシのような存在。

でも、みんなちがってみんないい。

縁は異なもの味なもの。

持ち味出して、世のため人のため、でもってちょっとだけ自分のため。

神様が宿る家を広めて参りましょ。  タリらリラ~ん

「所有」から「使用」へ

2012年06月24日

 嬉しい地鎮祭でした。

プロスポーツ選手のU様の地鎮祭でした。

 

 年末の「魔法の家」完成見学会で、初めてお出逢いをいただいたU様。

火災で家を失い、奥様も悲しみの中にありました。

ようやく動き出す気持ちになって、目にとまった広告がワシらの「魔法の家」だったそうです。

生体エネルギーの入った涼やかな空間。(言葉にできない体感です)

自然素材の仕上げ。(〇宣言ではありませんでしたが)

ダブル断熱(そのときはトリプル断熱までいってませんでした)

すごく気に入っていただきました。

 でも、焼けた場所に再び建てることは心苦しいことでした。

かと言って、新たに土地を買えば、本物の健康住宅にかける費用がなくなる。

そこで、U様に提案させていただいたのが、ワシの伝家の宝刀「定期借地権」でした。

土地を買わないで、その分の費用を建物に懸ける。

「所有」から「使用」へ

 

  津の駅西口から徒歩圏内、津市で最も高価な場所に、〇宣言・トリプル断熱・生体エネルギーの「神様が宿る家」が生まれます。

美しくなければ家ではない、美しくなければ町ではない。

定期借地の新しい町が年末には完成します。

地鎮祭には、U様の御家族、御両親、そして地主さまも出席してくださいました。

営業の本島が7年通い続けて、ようやく貸していただけた一等地の定期借地権用地。

地主さまのお孫さんも来てくださいました。

50年後、お孫さんが、この美しいコミュニティーのオーナーとなるのです。

美しい建物は、壊しません。 街ごとオーナーにもらっていただきます。

住むご家族には、50年という時間を手に入れていただきます。

 

 「神様が宿る家」を「神様が宿る町」へ

点から面に、そして更なる成長へ

人のすべての考えにまさる神の平安

2012年06月23日

 パウロは「人のすべての考えにまさる神の平安」と言っています。

この安らぎは、筋が通らず、こんなことになってしまった・・・にもかかわらず、何故?と、自分に問いかけます。

 

大手ゼネコンで、営業をしていた20代のとき、ワシはうつ病になってしまいました。

かなり重症で、会社を辞めることになりました。

ま、ショボイ性格でちっちゃい人間だったので、逃げ回ってるうちに逃げ場がなくなったのでしょうね。

性格は、今もそう変わりはありませんので、すぐに逃げるくせはそのままですが・・・

いい学校に入り、良い会社に入ることがステータスだったワシは、うつ病でそれらを失ったように思ったのでしょう。

28歳の時に自殺を図ります。

睡眠薬を数十錠、日本酒で流し込み、手首を切りました。

ためらい傷もない深さでしたから、おそらく少しでも遅かったら、いまこうしてブログを書いてるってことなかったでしょう。

不思議に、締め切ったはずの部屋に妻が窓から入ってきて、発見されました。

それから、一か月精神病院に入院するのですが、初めは絶望でしたね。

悲劇的な喪失だと思いましたから。

これまでの人生のすべてを失ったと思いこみましたからね。

社会的な地位も、「何も」残されてない限界的状況と思いました。

 

 何に自分を同一化していたにせよ、何を自分自身であるかと思いこんでいたにせよ、それが奪い取られたのです。

東京六大学出身、大手ゼネコンの社員・・・自分勝手につくりあげてきた「私」という錯覚です。

それらが失われて、しかも、死ぬこともできず、精神病院の中で、なぜだかわからないのですが、

当初感じた苦悶や、恐怖に代わって、ふいに深い安らぎと、心の自由を感じました。

この安らぎは、筋が通らず、こんなことになったのに、どうしてこんな安らぎが感じられるのだろうかと問いました。

状況や他人や運命を呪うこともできたでしょう。

怒りや恨み、自己憐憫を失ったものの代わりに「私」として同一化することも常に習い性になっています。

しかし、そうした抵抗をせず、いまここを受け入れ、勝手に作り上げた「私」が死にました。

 

 悲劇的な喪失にぶつかったとき、抵抗せずにあるがままを受け入れると、意識の新しい次元が拓くようです。

ワシの運命は、あのときから変わりました。

条件づけされていない意識が、ワシを支えてくれたようです。

そんなとき、状況や人々が協力的に展開し、不思議な偶然が次々おこります。

 

 行き詰まりこそ、神の最善。

 

抵抗の放棄とともに訪れる平安と静寂、それこそが神のもとでの安らぎでしょうか。

いまいちど、思いだしたいものです。

 

澤田塾 世直しコンテスト

2012年06月22日

 一年間で、澤田先生のセミナー3回以上開催等々様々な条件の中、ハウスメーカーと官僚がダメにした日本の住宅を良くしようと活躍した仲間たちが、切磋琢磨、競い合いその結果を発表する一大イベントでした。

住まいネットとは、入りたくて入れるグループではありません。

澤田先生は、年間の土日すべてをセミナー活動にあててくださっています。

住まいネットのメンバーは、一社で年間4回そのセミナーを協賛し、啓蒙に励むのです。

土日は、年間100日、一社年間4回なら、25社しかその役を担うことができないということなのです。

 

 一年前、初めて住環境想造研究会の勉強会、長野の生体エネルギー研究所を訪ねました。

一年後の今日、住まいネットの一員として澤田先生の講演会を協賛させていただいていることが、信じられない思いです。

ワシらの願いが、天に届いたのでしょうか。

それとも、それ以前に天がワシらに願ってくれていたのでしょうか。

何はともあれ、住まいネットの世直しコンテストの発表会場にいられる幸いを噛みしめたのでありました。

ワシんとこは、審査の資格に届いていませんでしたので、諸先輩がたの熾烈な戦いを眩しく見つめておりました。

新築部門の優勝争いは、僅差微差で伊豆山さんを押さえて和波さんがMVP!!

ガッツポーズで壇上に上がってゆく雄々しい近江犬の姿に目頭が熱くなったわ。

 その後、特別賞の発表となりました。

なんと!なんと!!なんと!!!

ワシが、呼ばれました。表彰されるというのです。

社員のみんなと、力を合わせここまで歩いてきたことが、走馬灯のように思い起こされます。

壇上に上がるまで、お客様の顔、苦しかったこと、楽しかったことフラッシュバックします。

壇上には、澤田先生の満面の笑み・・・ついに、澤田さんからお褒めの言葉がいただけるのか・・・

涙で、景色が曇ります。

澤田先生の声が、胸に響いてきました

「 賞状、 澤田塾 世直しコンテスト

      やっぱり口だけだったで賞

       赤塚建設㈱  赤塚高仁 殿

 

 貴方は、普段は明治大学OBの立場を利用して、いかにも頭が良さそうに能書きをたれていますが、

「神様が宿る家」の試験では、あの伊豆山さんよりも低い点数で落選された事実により、頭が悪いくせに能書きをたれる口だけ親父だったことが判明しました。よってその栄誉と名誉をここに表彰します。

                 平成24年6月20日 バカだ大学OB会長 バカボンのパパ

 

ワシは、褒められて伸びるタイプやね。

これからも、顔晴って、世直しにはげみまーーす。 たりらりら~ん

 

 

あなたの職業はなんですか?

2012年06月21日

 住まいネットの全体会議で、船井勝仁さんが、みんなに聞きました。

「あなたの職業は、なんですか?」

北海道から鹿児島まで、本物の健康住宅を目指す仲間が一堂に集っている場で、そう聞かれたのです。

そして、これからは、こう答えてくださいと言われました。

「私は、世の中を良くするために働いています。

 そのために家を建てています。と」

大手ハウスメーカーの悪口を言う必要は、ありません。

心臓外科手術をするのに、まず必要なのは、バイパスを作ることです。

大手ハウスメーカーという、大動脈は、今すぐに止められない。

だからこそ、一ミリのウソもつかず、現実を直視して、自分の持てる力を出し切ってください。

子どもたちが幸せになるための家をつくってください。

世の中の子どもが、幸せに生きられる世界にしてゆきましょう、

 

 人が、この世に生まれるのは、きっとその人が果たすべきお役があるからなのでしょう。

それを天命と言うのかもしれません。

それと同じように、会社には、理念という、みんなを良くする心が必要です。

澤田さんは、言いました。

「毒を売って、金儲けしたいなら、他の仕事でいいじゃん」と。

 

  基調講演は、女優の浜美枝さんでした。

70歳になろうとしている浜さんの、凛とした立ち姿、美しかったです。

家を造るワシらに、多くのメッセージを届けてくださいました。

「未来を担う子供たちのために、良き種をまこう。

家は、断じて工業製品ではありません。

今の私たちの暮らしは、何かが変です。

暮らしに疑問をもってください。

遠いところから食べ物を運んできて、しかも、それを惜しげもなく捨てる。

もう、外食を当たり前と思う時代は終わりますよ。

もっともっとと目に見える豊かさを求め続ける時代は終わりますよ。

一人ひとりが、身の丈にあった暮らしをすることです。

そして、家づくりという素晴らしい仕事に携わっている皆さんには、家族が幸せを感じる家づくりをしていただきたい。」

 

  なんだか、天からの声のような涼やかな風が、一人ひとりの心の中に吹いたように思えました。

船井勝仁さんも、泣いておられました。

我らのリーダーも、子供のような目で、靴を脱いで椅子の上で膝を抱えて、深くうなづいていました。

 

 懇親会、二次会、三次会…   ファミリーっていいものですね。

MVPに輝いた和波社長に負けないように、切磋琢磨してワシも成長します。

すべては、住まう人の笑顔と健康のために。