赤塚高仁ブログ「これでいいのだ!」

思考に気をつけなさい

2012年07月31日

思考に気をつけなさい

       それは、いつか言葉になるから

言葉に気をつけなさい

       それは、いつか行動になるから

行動に気をつけなさい

       それは、いつか性格になるから

性格に気をつけなさい

       それは、いつか運命になるから

 

   マザーテレサの言葉です。

 

 新しい一週間が始まりました、週末の完成見学会に向けて。

「すべて考え方です」というリーダーの指導の下、ワシはそれまでの自分を手放しました。

思考が変われば、運命が変わるというのは本当のことのようです。

ウソをつかないで家が売れるなんて、どんなに素敵なことでしょう。

「仕事だから多少のうそも必要さ、だって生きてゆくためには仕方が無いから」  

ワシの心の中にはそんな売春婦が住んでいます。

長い間、その売春婦の闇にエネルギーを奪われ続けてきました。

その売春婦の闇が、ワシの頭を支配し始めると、長いものには巻かれ、権力に媚を売ることに抵抗感がなくなってゆき、今を生きるエネルギーがじゃじゃ漏れになってしまいます。

同時に不信、不安、罪悪感・・・さまざまなネガティブな感情が立ち上がってくるのです。

これくらいいいじゃない、仕方ないですよ、工務店経営なんてこんなものでしょうが・・・

しかし、リーダーは一ミリの妥協もゆるしませんでした。

 

「憂いを持ち、今を誉れ高く生きたい」

澤田リーダーのこの言葉が、今に生きるエネルギーを取り戻す光になります。

売春婦の闇に飲み込まれず、誇り高く生きる道を照らしてくれます。

 

 さまざまな試練を通らせてくれたそんな家が、今週末、完成見学会を迎えるのです。

たかが一棟

されど一棟

ここからすべてが変わります。

世の中が変わります。

青臭い、こんな気持ちがお客様に認められる時代のようです。

完全予約制の見学会ですが、まだ若干余裕ございます。

 059-226-6627 赤塚建設にお電話ください。

あきらめるのをやめた証しがそこにあります。

本気の一棟。

すべては、住まう方の笑顔と健康のために。

 

 

 

生体エネルギーと住環境想造研究会

2012年07月30日

今から、一年と3ヶ月前に、 伊豆山さんの現場に連れて行ってくれたのは、この人でした。

以前から、イスラエルツアーで大親友になったこのご夫妻この美人社長が、夏になると桃を送ってくださいました。

ワシは、桃が大好き。

びっくりするほど美味しい桃は、生体エネルギーという技術を使って作られたものでした。

驚きでしたね、こんな美味しい桃がこの世に存在するなんて。

ですから「生体エネルギー」という名前は、超美味しい桃の思い出と共に心に刻まれていました。

 

 そんなある日、いつも肝心なところでズッコケる裏切り狸さんが、

「赤塚さん、絶対生体エネルギーやるべき、

  住宅に応用してる研究会があるから行きましょう」だって。

そして、千葉の伊豆山建設、伊豆山社長とお出会いをいただいたのでした。

驚きました、建物の気持ちよさ。

森林浴のような空気の爽やかさ。

新築の家なのに、一切化学物質の匂いがしない。。

外壁が汚れない、埃がでない、コンクリートにヒビも入らない・・・

こんな住宅が、あるんやーーーーー

こんな家、建てて広めて喜ばれたいーーーーーー

本気スイッチが入った瞬間でした。

 

 住環境想造研究会に入会させていただきました。

ちょうど一年前のことでした。

そこで初めてこのリーダーに出会いました。

第一印象は、最悪でした。

怖かったです。

まわりにいるファミリーも恐怖でした

絶対、近づいてはならない人たちと会っちゃったな~って感じでした。

タバコは吸うわ、ウンコ座りするわ、どつきあうわ,hahaha裸で懇親会場走り回るし・・・

絶対無理!!

目を合わせたらダメ!! そんな数ヶ月を過ごしながら・・・

でも、だんだん、澤田ファミリーの中に在る「本当のこと」に惹かれていったのでした。

そこでは、理屈や奇麗事でなく、みんなが結果を出している。

それは、そこに「本当のこと」があるからでしょう。

利害関係や好き嫌いを超えた、志でつながれた世界が見えるようになってきました。

 

そんなある日、「赤塚さん、一緒に戦おうよ、日本の住宅を変えようよ」

リーダーからもらった一本の電話で、それまでやってきた25年間の2x4輸入住宅の実績も、自分のプライドも、とりあえず全部捨てて、この人に懸けようと決めました。

 

気がつくと、澤田ファミリーの一員になってました。

リーダーのお父さんの葬儀で、弔辞を語らせていただきました。

能書き親父、ヤギ親父と呼ばれるようになりました。

なんか、気持ちいいですね。

過去の思い出話や、

妙なプライドなんか要らなかったですね。

生きてる実感、魂に感じますね。

 

 生体エネルギーだの何だかんだって理屈や能書きなんかどうでもいい、

生きててよかったって感じ、これ、とっても大事だと思えます。

 

  一年経って参加した住環境の勉強会

世界が違って見えます、生きてることの懐かしさに胸が熱くなります。

きっとこれが、ファミリーのみんなが味わった感覚なんでしょうね。

 

がんばれ!日本!!

2012年07月29日

 気がついたらオリンピックが始まってました。

今回は、ロンドンですか、前は、どこ?北京??

ワシが小学校に入った時、東京オリンピックがありました。

新幹線が開通し、高速道路が延びてゆきました。

手塚漫画のように、道路が透けていて、下から見上げると車の底が見えるんだと信じてました。

とうめい高速。

東洋の魔女、涙の回転レシーブ・・・鬼の大松監督。

日本中が、渦のようになって新しい時代へと走り出したきっかけがあのオリンピックだったのかも知れません。

 

 ロンドンの応援席では、日の丸が振られています。

日本人が、日本人であることを思い出す、そんな風にも思えます。

でも、そもそも日本人とはなんでしょうか。

民族とはなんでしょうか。

・・・ワシは、民族とは「歴史」だと断言します。

英国の歴史家、アーノルドトゥインビーは、「人間から歴史を取ると、動物以下になる」と言っています。

日本人は、戦後の占領政策で、再び立ち上がれないように「歴史」を奪われ、「家庭」を崩壊させられました。

戦後67年、3世代経ってついに我が国は、歴史を知らない動物の国になりました。

世界中で、自分の国の旗や、国の歌を卑しめる教育をしているのは日本だけです。

日教組という、共産主義者の連中が教育を通じて自虐的歴史観を植えつけました。

なんと、学校の先生が祖国の建国の歴史を知らない、建国の父を知らない

世界広しと言えど、こんな国は日本だけです。

 

 魚には水が見えません。

 日本人には、日本が見えません。

 

神話の国、建国以来2672年続く、万世一系の大君を中心に抱く、世界で唯一の君主義国家「日本」

オリンピックを機に、祖国について考えてみるのは大事なことと思うのですが。

あ、それから、国家を歌わない先生、日の丸反対の先生、オリンピック見たらあかんよ。

軍国主義につながるから。

それから、パスポートもあんたらにはあげない。

世直しとは、余直し

2012年07月28日

  余は、バカ殿様じゃ

の、余は自分自身のことを言いますね。

 

福島での住環境の勉強会、魂に響きました。

新建ハウジングの三浦局長の話。

「建築業界の常識に挑戦状を叩きつけろ!」

日本の国が陥ってしまっている、「こんなもんでいいや病」

早い話が、みんなそこそこでいいって。

こんな日本でいいの?

こんな国を子供たちに残したいの?

時代を追うのはやめようよ。

お客様第一主義って言いながら、誰もが同じ家を建てるのはやめようよ。

お客のニーズを真に受けるのをやめようよ。

お客になにを言われても、変えられないものを標準にしようよ。

理想を旗に掲げ、理想を追う!

そして、信じることにエネルギーを使おう。

 

そのあと、 IGコンサルティングの立田部長が、6年間澤田さんから教えられてきたことを語ってくださいました。

ドン底の経営状態で澤田さんのコンサルをうけ、250人の社員さんの100人をリストラ。

そのとき悪役に徹して、すべての向かい風を受けた澤田升男という存在。

 

知れば知るほど、澤田ファミリーという絆に胸が熱くなります。

 

そして、澤田さんの話。

魂を絞るような心の叫び。

 

  建築を通して、ホンモノを提供することでこの国を良くしたい。

ひがんだり、ねたんだりせず、毎秒毎秒自分が一生懸命生きる。

「できない」なんて、最も見苦しいセリフでしょ。

あきらめるのをやめろよ!

憂いをもって、今を誉れ高く生きようよ。

 

    今もなお、澤田さんの言葉が、胸の中で燃え続けています。

世直しは、余直し。

まず、自分が変わる。

一隅を照らす。

そうすれば、世界は変わる。

すごい家ができたもんだ!!

2012年07月27日

 真夏の炎天下、現場に入ると涼しい。

2階で作業している大工さんが、首をかしげて「天井裏から熱気が来ない・・・なんで?」って。

トリプル断熱の発明者、澤田先生が、セミナーで真夏でもエアコンが要らないと言ってますけど、ちょっとオーバーだわと思ってましたが・・・

本当のことです。  びっくりです!

 

トリプル断熱+生体エネルギー+0宣言・・・これが「神様が宿る家」

 

ついに第一号が誕生しました。

去年の暮れ、お出会いいただいたOさまは、インターネットHPをご覧になってお電話をくださいました。

ほぼ、決めておられた業者さんがあったようですが、ありがたいことに御契約いただきました。

それまで山あり谷ありでしたが、目に見えないご縁があったのでしょうね。

建築中にもこんなことがありました

今となれば、なつかしい思い出のように感じるけれど、もうダメだと思うことが何度でもありました。

その都度、ひとつひとつ自我がそぎ落とされて、そこにできたスペースに新しい命が注がれたのでしょうか。

古い自分を握り締めていたまま、新しい自分に出会うことはできないのかも知れません。

本当に、この家は、ワシの人生を変えた偉大な家なのです。

 

  多くの方々に見学していただきたいのですが、団地の中で、多勢の方に来ていただくのが困難なのです。

ですから、これまでにお出会いいただいていたご家族と、このブログを読んでくださっているお方に限定してお招きしたいと思います。

半端なエネルギーの空間じゃありません。

玄関を一歩、足を踏み入れていただければもう理屈はいりません。

能書きを超越しました。

 

 場所は、亀山市みずきが丘、

 時は、8月4日・5日の土日です。

 059-226-6627 赤塚建設にお電話ください。

 現地への道案内と、お時間の約束をさせていただきます。

 

神様、ありがとうございます。

日本の住環境は、この家で変わります。

「神様が宿る家」ついに  デビューです。

 

 

まほちゃん先生

2012年07月26日

  福島での住環境想造研究会の集まりのため、始発の近鉄で名古屋に向かいます。

相変わらず、ヒガシヘニシヘとハードな日々は続きます。

しかし、今、この流れに乗って、進化しなければ、お客様の笑顔と健康のために貢献できない!!

顔晴って走ってます。

 

 さて、娘の万穂が7歳のとき、こんなことがありました。

もう小学校にも入り、いろんなこともわかるだろうと、若き能書き親父は語り始めました。

「マホね、自分の意見をしっかり持って、それをちゃんと言える人になるんだよ。

お父さんは、いろんなこと気を遣いすぎて、言わないでちょっと損をすることがあるから、マホはちゃんと言うのやで。」

すると、マホは、ワシをじっと見つめ、

「それって、パパの問題やろ」だって

ワシは、ドキってして「そ・・そう・・やな、ほな、お父さんは、気を使っていろんなこと考えてるから、人の気持ちが感じられるので、マホもそんな風になってな。」

「うん、それならわかる」

以来、ワシは、マホちゃん先生と呼んで、師と仰いでおります。

だいたい、魂レベルが上の者が両親を選んで修業にやってくると聞きます。

だから、よく来てくれたと、感謝してるのですよ、ワシ。

 

 会社が、いま人が足りず大変だというので、マホちゃん先生、パートタイムで手伝いに来てくれてます。

いつの間にか、マホちゃん先生 25歳になったのです。

よく立派に育ってくれました。

親バカは、世に多いですが、ワシんとこはバカ親でしたのに。

なんだか、ちょっと苦しいピンチの後には、思いもよらない善きことがあるみたいですね。

マホちゃん先生が、ワシがブログ書き続けているのをみて、自分でも書き始めたようです

どうやら、最大のライバルになりそうです。

 

自我(エゴ)を捨てなさい

2012年07月25日

 ずいぶん前から親しくさせてもらっている山川紘矢さんが翻訳した、アイリーン・キャディの「心の扉を開く」という本があります。

今夜も眠れず、夜中にふっとこの本を開いてみました。

目にとまったページが、「エゴを捨てなさい」

 

 あなたは人生をどのように生きていますか?

他人のことはいっさい考えないで、何の目的もなく、気の向くままに、自分勝手に生きることで十分満足できますか?

あなたがどう生きようとそれは自由です。

非常に多くの人々が、こうした生き方をしていて、なおかつ、どうして自分は満足できないのかと考え込んでいます。

自我を捨て去り、人のために生きることを学んだ時、人は本当の心の平和と満足感を得られるのです。

いつも人からうばうだけではなく、人に与えることを学んでください。

あるレベルにおいて与え、別のレベルで受け取ってみたらどうでしょうか?

人生は、両方通行です。

それはつねに与え、そして、受け取ることです。

自分のためにだけに生きるのでは、人生の真の幸福と満足を見つけることはできません。

全体のために生き、全体のために与え、あなた自身が全体そのものとなってください。

 

  10年前の11月、シリアのダマスカスで不思議な霊的体験をして、キリスト者にされたワシは、ずっと聖書を読んできました。

イエスという肉体を持って、地上を歩いた一人のユダヤ人が、人類の歴史を変えてしまったのです。

わずか33歳の生涯でした。

イスラエルからはるか離れた東の島国でも、彼の誕生にケーキを買ってお祝いするなんて、すごい影響力ですよね。

 

イエスの選んだ12人の弟子たちは、立派な人たちではありませんでした。

どちらかといえば、世の中で落ちこぼれたような人たちでした。

その人たちが、今や聖者として崇められているのですから、生きている間の評価なんて大したことないのかも知れません。

自分が褒められたい、権力が得たい、お金が欲しい、そんな自我が生み出す世界に住み続ける限り、本当の心の平和と満足感 は得られませんよね。

 

 世のクリスチャンは、イエスに会いたいと祈って、いろんな決まり事を必死になって守ってます。

でも、もし2000年前のイスラエルに住んでいたとして、目の前にイエス本人が現れた時、「ハイ!」といって従うことができたでしょうか?

それまでの考えや、価値観、そして自我を捨てて従うことができるでしょうか、わずか30歳の青年に。

すべてのことは、今・ここに起きています。

ワシらのリーダーは、「みんなよくなりゃいいじゃん」と、口癖のように言います。

そして、それが本当だから、リーダーは誰に対しても一切態度を変えることはありません。

それは、恐ろしいほどです。

リーダーに出会わされて、ワシは運命が変わりました。

聖書を座って読み、毎週日曜日に礼拝に欠かさず出席をしていた時より遥かに強く、主の臨在を感じます。

そこには、依存や奇跡を待ち望むような他力本願ではない、真の歩みがあると思えるのです。

 

 自我を捨てるのは、自分の頭では無理です。

 その考えそのものが、「自我」だからです。

 

 いきさつを超えた出会い、それが運命を変える鍵であることは、間違いないようです。

澤田ファミリーと過ごす時間が増えるにつれ、そのなかに不思議な平安を感じている近頃のワシです。

 

 

 

不思議な助っ人

2012年07月24日

 産休に入った本島のポジションをこの人が受け持ってくれてます。

キツネ目の男と言ったら傷ついたそうです。

バリケードな方かと思ったら、デリケートだったのですね。

 

 この人と初めて会ったのは、4年半くらい前のこと。

44億円もの売上を誇る不動産会社の社長でした。

津駅の西口に自社ビルを持ち、建売、仲介、マンションとバリバリ売りまくってました。

負債総額70数億円、倒産したと聞いたのはそれから一年ほど経った頃でしょうか。

ワシも土地を仕入れて、分譲して家を売っていた時期もありましたから、売れ残りの恐怖、資金ショートによる倒産の不安は絶えず心にありました。

分譲のための土地仕入れ、多額の借金に資金ショートして、彼の会社は倒産してしまったのです。

やがて、駅前の本社ビルも売りに出されました。

縁あって、ワシの友人がそのビルに本社を移転したのですが、改装を請け負ったときも、浪岡社長のことを思っていました。

どこで、何をしていることやら・・・

 

 去年の9月、彼から突然の電話「会いたいのですが・・・」

金なら無いぞ!!と言おうとしたけど、とりあえず来てもらいました。

・・・いま、何やってるの? え、?断熱材屋さん??

セルロースファイバーって知ってるかって?

間に合ってますけど・・・ ところで、車の中に積んでるのは何?七輪と炭とガムテープ?

ええ・・・自殺3点セット!?

ずっと死のうと思ってたって?!

 

  今、赤塚建設にキツネ目のおぢさんが、毎日朝礼に参加して、一緒に唱和しています。

44億売り上げていた時、お客さんの顔見たことも無く、思い出すことも無いくらい、ただカネカネカネと走り回って、とにかくいかに安く建てるか、どれだけ業者を叩くかしか関心がなかったと言います。

ワシの会社では、毎年OBのお客様の奥様に花束を届け、朝礼でお誕生日おめでとうございますと拍手します。

シャロームタウンという団地では、住んでくださっている方々で恒例のクリスマスパーティが開かれ、ワシも参加させてもらい、年々大きくなってゆく子供たちの姿に目を細めています。

建築期間は、数ヶ月、でも、お付き合いは一生。

それが、ワシらの仕事。

ちょっと違う世界を、彼は旅し始めたようです。

不思議な助っ人、浪岡昭がブログを始めました。 そーーっとのぞいて見てみよう。

 

 

必要・必然そして最善

2012年07月23日

 怒涛の週末でした。

岐阜~長野~三重~和歌山~三日間で1100キロ走りました、ワシのボルボ。

三日間で数時間眠ったでしょうか。

それぞれの出来事が、深く大きく、何年分もの体験をしたような氣がします。

なつかしい人たちとの再会。

今を生きる仲間との魂の磨きあい。

そして、新しい出会い。

 

 起きることの全ては、必要だから起きるのだと言われます。

それは、必然なんだと言う人がいます。

人ごとの時は、そう言えるかも知れません。

でも、受け入れがたいことが現実になった時、本当にそう思えるでしょうか。

目の前で、大切な人が死んでしまうようなことがあったとして、

「必要・必然なのさ」なんて言われたら、ワシ、その人許せないし、友達に持ちたくない。

寄り添い、ただ黙って一緒に涙を流せる者でありたいです、ワシは。

 

 広島からお医者様のNさまファミリーが、御来社くださいました。

澤田さんの本を読んで、両親の家はこの「本物の健康住宅」しかないと、御両親に電話してくださったお方です。

御両親は、千葉に住んでおられる、以前ブログに書かせていただいた93歳の元気なご主人様。

産まれ故郷の三重の津に、終の棲家を持ちたいと、千葉から車を飛ばしてやってきてくださったのでした。

Nさま、広島に帰る前のわずかな時間を使って、会社に来てくださったのです。

「赤塚社長に会いに来ました。」

お父さん(今度の家に住まれる)から、子供の頃、よく糸川英夫博士の話を聞かされていたそうです。

60歳からバレエを始めて、新聞紙の上に足を置き、毎日毎日一枚ずつ重ねて足を上げていき、

ついには帝国劇場の舞台に出るまでになったというエピソードを知っておられました。

ワシのブログを読んでくださっていたのです。

だから、初めてお会いするのに初めてじゃない、そんな感じでしょうか。

わずか30分のお出会いでしたが、「どうぞ、これから両親のためによろしくお願いします」と頭を下げられるNさまに胸が熱くなりました。

53歳、若干の肉体疲労のワシでしたが、全て吹き飛ばす最幸のお出会いをいただけました。

感謝です。

 

 いいときばかりでなく、すべてが必要、必然、そして一切が最善と受け止められる

そんな自分に変えられたいと祈ります。

 

 

 

 

 

鬼太鼓という兄弟たち

2012年07月22日

  糸川英夫博士と出会い、ワシの運命は361度くらい変えられましたね。

きっかけはなんだったのかと思い出してみると、和太鼓のプロ集団鬼太鼓座の導きでした。

当時鬼太鼓座のマネージャーだった吉村信介さんが、東京の糸川邸での勉強会に行くというので、連れて行ってくれと頼み、出かけていったのでした。

糸川先生は、当時パリ国立大学や、米国の大学でも教えておられました。

バブル経済真っ只中の日本は、有頂天で、ニューヨークの土地まで買い占めるほどでした。

糸川先生は、欧米の教授たちに「イトカワ、お前の国が儲けているもので、お前の国が発明したモノがあるか? 自動車も半導体も米国の発明だ。モノマネばかりで儲けて、取り込むことばかり、ブラックホールみたいな国だな、日本は」 常にイヤミを言われていたそうです。

そんな時に糸川先生は、鬼太鼓座と出会いました。

 

  1969年に佐渡島で結成された和太鼓集団。

毎日20キロ以上走り、叩いた力で叩き返される力に負けない身体をつくる。

今、日本中に4000とも5000ともいわれる和太鼓のチームがありますが、その原点が鬼太鼓座です。

座員は、入れ替わってゆきますが、ワシが魂の交わりをしたメンバーたちは、なんとアメリカ合衆国を3年かけて走って一周しました。

行く先々で演奏し、一宿一飯世話になりながら。

ニューヨークマラソン、完走したゴールで舞台に駆け上がり、二時間の舞台をした伝説のグループです。 フルマラソン、速い奴は2時間半で走り抜けるのですから、驚異ですよね。

 

  鬼太鼓座こそ、日本が世界に放つ文化であり光だ!と糸川先生は、全身全霊で支援しましたね。

だから、ワシも鬼太鼓座のみんなと兄弟みたいにつきあわせてもらいました。

 

糸川英夫生誕100年記念の日に、あの頃のメンバーが集まってくれました。

手弁当で、太鼓を打ってくれました。

鎮魂歌、まさにレクイエム、天に届く命の響きでした。

糸川先生喜んでくださったでしょうか。

そして、ワシらのリーダーのお父さん、聞こえましたか?

告別式の夜にワシは、しみじみ雨降る夜空を見上げていたのでした。