赤塚高仁ブログ「これでいいのだ!」

奇蹟のバイオリン

2012年07月11日

  我が師、糸川英夫博士がこの世に登場してから今年で100年になります。

博士は14年前に天に帰られました。

しかし、死後も天から大きくエネルギーを注ぎ、太陽系探査機はやぶさの旅を導いてくださいました。

真の愛国者でした。

国を愛するとはどういうことかを身をもって教えてくださいました。

最後のメッセージは、日本はイスラエルに学び、世界の灯台になるという預言でした。

86歳、死の間際まで、祖国・日本のことを憂い、希望を忘れずロジカルに解いてくださいました、宇宙の真理を。

 

  日本が米国に戦争負けた時、日本は一切の航空機の生産を禁止されました。

糸川博士は、飛行機作りに命を懸け、陸軍の名機、97式戦闘機、一式戦闘機・・・この戦闘機が後に「はやぶさ」と名付けられます・・・そして、プロペラ機の限界に達した「鍾馗」

作り続けました。愛する祖国、日本のために。

イトカワ=飛行機

しかし、連合軍から飛行機製作禁止

すなわち、イトカワー飛行機=0

糸川先生は、自殺を試みます。

だけどそのとき、教え子の一人が、「糸川先生、世界一のバイオリンをつくってくれませんか」と頼みに来ました。

頼まれごとは、試されごと。

ストラディバリウス以上のバイオリンを、普通の価格で作ってみせよう。

糸川博士は、ありとあらゆるバイオリンの曲を分析しました。

そうしたら、モーツアルトもバッハも一番頻繁に出てくる音に共通点があったそうです。

作曲家の望んでいる音が、一番良く鳴るバイオリンを作ればいいと、博士は取り組みました。

博士は、自殺することも忘れ、バイオリン作りに取り組んだのです。

作曲家が求める音が一番響くバイオリンを作り

板も真空状態にして、何百年使い込んだ状況を人工的に作りました。

そして、45年かけてそのバイオリンは完成したのでした。

糸川英夫著、「80歳のアリア」世界で一つのバイオリンのこと、詳しく書かれています。

 

  糸川英夫生誕100年

この奇蹟のバイオリンが、発見されました。

ワシ、このバイオリンを信州に届ける役を、仰せつかりました。

東京のある場所で発見されました。

7月20日    博士の誕生日に糸川先生の終の家、信州丸子町の家でこのバイオリンに再会できます。

 

 前例がないから、やってみよう

奇蹟のバイオリンは、日本人に沢山のメッセージをつたえてくれることでしょう。

来て、見てください。

 

 

ブログ記事の作成 - - 赤塚建設株式会社(三重県津市の工務店) - | Movable Type

2012年07月10日

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魚には水が見えない

2012年07月10日

  魚に見えないもの

        きっと、それは水でしょうね。

魚と話したことはないけれど、多分そうだと思う。

 鳥に見えないもの

      それは、空気でしょう。

あまりに身近にありすぎて、当たり前になってしまってて、

見えなくなってしまうこと、あります。

  だから、日本人に見えないものが、日本なのではないでしょうか。

 

  今まですぐそばにあって、見えなくなってしまっていること。

思い出す時がきているように思えます。

当たり前こそが、実は、最幸の奇蹟かも知れません。

 

  出逢いもすべては導きでしょうか。

改めて、出会わせていただけた喜びをかみしめます。

 

 すぐ目の前の縁ですが、それにつないでくださった先の縁こそ、何よりも大切にと思う。

だから、ひとつ前の縁を忘れない。

 

当たり前こそが、実は最幸の奇蹟だと思えてなりません。

 

 

 

 

 

伝えずにはいられない

2012年07月09日

 好きにならずにいられない

 

 愛さずにはいられない

 

 そして、伝えずにはいられない。

 

小さい頃から自分で何かを作ることよりも、誰かのことや、面白いことを伝えるのが好きでした。

小学校の5年の時、家にあったプロレスのチケット4枚ポケットに詰め込んで、学校に行きました。

四日市である日本プロレスの試合(その当時は、馬場さんと猪木さんは同じ団体で戦ってました)に連れて行ってもらうのをメチャクチャ楽しみにしていたのですが、家庭教師の都合でその日に勉強しなければならないことになり、プロレス行きは中止となったのです。

しかし、家庭教師ごときに猪木さんの試合を見るチャンスを奪われてはたまりません。

いったん約束をしていながら、大事なプロレスに行かないなんて許せない、と父を恨みながら・・・

四日市は当時のワシにとって、イスラエルよりも遠い世界でありました。

電車に乗るお金もありませんので、お金を持ってそうな友達3人にプロレスのチケットを売りました。

いかに猪木の卍固めがすごいか、その年に入団した柔道界のホープ若鷲、坂口征二のことや、謎の囚人ザ・コンビクト、そして猪木のライバル、ドンレオ・ジョナサンの空中殺法の華麗さを伝えました。

三人はチケットを買いました。

チケットを買った3人と、電車代を手に入れたワシは、電車に乗って四日市へ。

ランドセルを背負った10歳の子供だったのですね、ワシらは、今思えば。

パンフレットを買って、選手にサインしてもらい、夢のような時間を過ごしました。

でも、夢は終わりました。

メインイベントの猪木とドンレオ・ジョナサンの試合が、お約束通り卍固めでギブアップで終了すると、リングの電気が消えて現実に戻されました。

それから、ワシらは家に帰ることもできず、津の駅に遅く着いて、歩いて一軒の空き家に入りました。

まだ寒い、春も初めのことでした。

部屋の隅に積んであった、布団の上でネコが死んでいたのを覚えています。

 

 このスタンド・バイ・ミーのような少年たちは、翌朝学校に出かけて行き、校門で待ち構えていた親たちに家に連れて帰られ、それぞれぶん殴られることになるのですが・・・

 

 あれ、なんの話しやった・・・?

そうそう、好きにならずにいられない、伝えずにはいられないってこと。

どうぞ、立派な建築の優秀な先生のお話はこちらでお読みください。

ワシなんて足元にも及ばない、すごい建築会社の社長がこんなにも燃えています。

毎日ブログ書いておられます。素晴らしいですね、澤田ファミリー

みんな暑苦しい肉食体育会系。

でもね、ワシのような草食系、文系の能書きじじいでも、伝えたいという血が騒ぐと、好きになってもらわなくちゃたまらない!そんな気分でいっぱいになるのですよ。

「神様が宿る家」

好きにならずにいられない、愛さずにはいられない、伝えずにはいられない。

今日もわくわくしながら伝道します!

 

 

 

 

天晴れな地鎮祭です

2012年07月08日

 最幸の青空です。

Y様の地鎮祭でした。

抜けるような青い空の真下で、Yさん、奥さん、その真ん中に3歳の息子さんが両方の手をお父さんとお母さんに握ってもらって立っています。

三人の後姿を見つめていると、涙が出そうになりました。

 

祭壇に捧げられた供え物と御幣。

敷地には、四隅に竹が立てられ、しめ縄張り巡らし、神主さんの祝詞が響き渡ります。

竹は、古来神話の時代から天と地を結ぶ植物。

竹取物語も、かぐや姫は竹から出てきました。

天につながり、地の神に御挨拶をさせていただき、その間に人々の人生の場を作らせていただく。

これまで、何度地鎮祭をさせてもらったことでしょう。

でも、今日の地鎮祭は格別の思いで執り行わせていただきました。

Yさんは、以前にブログに書きました、4月29日の澤田さんのセミナーに参加された方です。

土地を購入した後、残りの予算でローコスト住宅と契約寸前でした。

澤田さんに「ゴミ!」と言われる家を買おうとして、その直前に本物の健康住宅と出会われたのですから、

ツイてるとしか言いようがありません。

でも、よく我社を訪ねてくださいましたし、ワシの話に耐えてくださいました。

「あなたがた夫婦のことではなく、3歳の息子さんの健康のこと考えてください。知らないのは仕方ありません。

でも、セミナーで澤田先生の話を聞いて、不安になって、ウチに来て、それでも考え方が変わらないのは、もはや罪悪ですね。」

・・・でも、サイディングを10年に一度塗り替えたほうが安いんじゃないですか?・・

「Yさん、あなたはアホですか? お金をドブに捨てる氣ですか。

澤田さんの話を聞き、本気で体にいい本物の健康住宅を知っても、そんなことを言う人は、ウチもお断りします。」

 

 結局Yさんは、ローコストの住宅メーカーとの契約は白紙に戻し、500万円余分にお家に予算をかけていただき

「神様が宿る家」を御契約いただきました。

そして、地鎮祭。

この家族の笑顔と健康のためにはたらかせていただけることは幸せなこと、そう思ってしみじみ後ろからYさん家族の背中を見てました。

赤塚建設と出会ってよかった、引渡しの時に、そう思っていただけるように。

「神様が宿る家」は、家族を変えます。

家族が変わるとき、日本が変わります。

出会わせていただけて、ありがとうございます。

 

 

 

赤福のココロ

2012年07月07日

 ずっと昔に「伊勢の名物赤福餅はええじゃないか!ロックンロールショウ」というバンドでギターとボーカルを担当してました。

歌よりも、しゃべりの長いバンドでした。

ダンシング志摩と名乗っていましたが、踊れるわけではありません。

だいたい、ワシの人生、これでええじゃないかとええ加減に半世紀過ぎました。

髪が白くなり、老眼が進み、歳をとるということが実感として迫る今日この頃です。

澤田升男先生のように真面目に生きなければいけない・・・そう思います。

残り時間、あまりありません。

 

 さて、赤福は伊勢の名物ですが、「赤心慶福」(せきしんけいふく)から名付けられているそうです。

赤ちゃんのように純真な心に、福がやってくる。

とても大事なココロです。

赤ちゃんは、過去を悔んだり、未来に不安を抱いたりしません。

今、ここで生きることを生きています。

いまという瞬間に「ある」

いまこの瞬間との調和の中にあるとき、大きな力とつながっています。

いまという瞬間、命そのものの力とつながっています。

その力のことを昔から「神」と呼んできたようです。

その力に背を向けた瞬間「神」は、ただのコンセプト、概念となり、ある人はその概念を信じ、ある人は否定します。

「神」を信じることが大事だと、宗教家たちは言います。

「神」を信じることも、人生のすべての瞬間に立ち現われている「神」の現実を生きることに比べれば、お粗末な代用品にすぎません。

 

 澤田さんは、いつも言います、「毎秒毎秒一所懸命生きる」と。

だから、多くのコンサルの先生方が言う「目標」と、澤田さんが言うそれとは違うように思えます。

見つかるはずのない未来に充実した人生を求め、この宇宙と唯一の接触点である現在のこの瞬間を無視してしまうという習慣を、澤田さんは破ります。

澤田さんのコンサルが成果を生み出すのは、澤田さん自身が、どんな単純な行為であっても、携帯でメールを送るだけでも、

車のハンドルを切るだけでも、その行為に質がともなっているからだと思えます。

「毎秒毎秒一所懸命」という言葉の中に「赤心慶福」を感じます。

 

 ワシが、不安やストレスを感じるのは、過去や未来や、ここにいない誰かに支配されて、今の瞬間を生きていないからでしょうか。

いちばん大事なのは、意識の状態で、あとはすべて二次的であるということを忘れてしまっているからかも知れません。

 

 赤福餅はええじゃないか!

赤ちゃんの心で、今日一日生かされてみましょう。

 

北の国にて

2012年07月06日

  東京ドームが108個入るほど広大な森のホテル・二ドム。

素晴らしいフィンランドのログハウスに泊めてもらっています。

梅雨のない北海道、気温も19度と、この上なく快適です。

大腿骨骨折という大怪我から復活された、高田由紀子先生との二人旅です。

ワシの娘、マホちゃんが三歳のときに入れていただいたバレエの先生です。

高田由紀子バレエ団は、大阪が本拠地ですが、津にもスタジオがあり、これまでに1500人以上の教え子を世の中に送り出しています。

ワシの母と同じ生まれですから、80才になられますが、ガッツのカタマリのような女性で、本当に厳しさと優しさ、そして、強さというものを教えてくださいます。

「赤塚社長、私を北海道に連れてって!」

入院して、もしかしたらもう歩くこともできず、一生車椅子生活かも…

「きっと歩けるようになりますよ、先生、そしたら北海道行きましょう。」と、ワシは約束したのでした。

以来、毎日プールで歩き続け、見事復活。

日常を離れて、北海道の大自然の中でゆったりした時間を持ちましょう。

二ドムのログハウス、森の中のデッキで読書しようとスーツケースにたくさんの本を詰め込んできたワシです。

でも、千歳のラーメンみのりの大将や、平間さんに会ってるうちにあっという間に時が過ぎて、もう帰らなければなりません。

一冊も読めませんでした。

それにしても、夕べ、大将の店で柴田久美子さんと再会したのはビックリでしたね。

日本のマザーテレサと呼ばれる久美子さん。

マクドナルドの超優秀社員だった彼女が、看取り士して、死の瞬間を抱きしめて迎えてもらうという使命に生きる話は、いつかまたブログで。

 

 おフランスの夏風邪をおめしになった我らのリーダーに、お土産何にしましょうか。

 

クイックレスポンス

2012年07月05日

  澤田さんの指導の基礎の基礎に「クイックレスポンス」があります。

電話をもらったら出る。

出られなかったら、すぐに返信する。

電話があるってことは、用があるんだから、「今、話できませんから、かけ直します」と言わなきゃいけない。

 

 澤田さんは、クイックレスポンスできないのは、忙しいからじゃなくて

相手に対する思いやりがないからだ、と言われます。

返事をしないのは、いけないことです。

でも、つい自分中心の考え方に陥るとき、相手の都合を後回しにしてしまいます。

 

「好き」の反対は、「嫌い」ではありません。

好きと嫌いは、同じものの裏表だから。

「好き」の反対は、「無関心」です。

そこには、愛がありません。

愛なき世界には、神様は宿りません。

 

  一人一人が変わってゆけばいい。

そうすれば、宇宙が変わる。

 

  クイックレスポンス、習慣にしたいものです。

あ、夕べのメール、まだ返信してなかったわ。ヤバっ

神話に学ぶ日本の心

2012年07月04日

 産経新聞に新しい連載が始まりました。

古事記編纂1300年、神話に学ぶ日本の心です。

第一回目の今日は、イザナギ、イザナミの物語。

天の浮橋から、鉾で海をかき回し、滴り落ちる滴が日本列島になったという国生みの神話。

イザナギとイザナミが出会い、結ばれる場面では

「ワシの身体で余ってるところがある」と、イザナギがいうと、

「わたしのカラダで足りないとこがありますの」とイザナミが言います。

「あなたの足りないとこに、ワシの余ってるとこを差し込んで、一つになろう」

      まあ、ロジカルではありませんが、澤田先生の大好きな世界ですね、これ。

実は、この場面の前に、二人が出逢って、声をかけあうシーンがあるのです。

「あなにやし、え、おとこを」

なんてステキな男性なんでしょ、とイザナミが声をかけると

「あなにやし、え、おとめを」

イザナギが答え、交わり、子どもが生まれるのです。

それが、ヒルコ、グジャグジャの奇形児。

大神様に二人が相談にいくと、女が男に声をかけるのは良くない。

それで、もう一度やり直し。

「あなにやし、えぇおとめを」と、イザナギ。

答えてイザナミ、「あなにやし、えぇおとこを」

   そして、まぐわい、美しい日本の国が生まれました。

 

 神話からつながる天皇を中心として、建国以来2672年途切れることなく続く世界でひとつだけの国、日本。

古事記から1300年。

神話は、事実である必要はありません。

大和民族にとっての真実だからです。

日本のため、愛する祖国のためにワシにできること。

顔晴って仕事して、金くらい儲けて、税金いっぱい国家に納める。

そして、能書き垂れて、神話と教育勅語を語り伝えるの。

医師が薦める本物の健康住宅

2012年07月03日

 営業の本島が抜けて、最初の一日、全員で力をあわせて彼女の分の仕事を担いましょうと誓いました。

来年の5月までのカレンダーを作り、今動いている現場、そして、その現場が完成するときを書き込みます。

完成現場見学会の日程も書き入れました。

次に、今、折衝させていただいている見込みのお客様の契約の予定と、着工の予定を立て、書き入れました。

協力していただく業者さんにも、予定しておいてもらわなければなりませんね。

そして、来年5月末までに竣工するために、まだ見ぬお客様を8名想定してAさま、Bさま・・・それぞれ日程を決め、Hさまには2013年1月13日に契約させていただきます!と書きました。

年間20棟達成し、住まいネットの世直しコンテストで、澤田先生から賞状と賞金100万円を受け取っているシーンを描き、ほくそえんでいたそのときでした。

「ごめんください。」

千葉ナンバーのプリウスです。 知らないお方ですね。

年間計画のミーティングの最中でしたので、営業の助っ人、キツネ目の浪岡氏に対応してもらいました。

しばらく応接室で話し、帰られた後、何の用だったの?とワシが聞くと・・・

「家を建てて欲しいそうです」・・・・えーーーー!!

 

Nさまは、98歳の御主人と共に千葉に住んでおられます。

100坪の土地に50坪の家に住むご夫婦です。

でも、千葉を引き払って、産まれ故郷の津に戻る予定なのだそうです。

息子さんが、広島で勤務医をされているそうなのですが、お医者さんである息子さんが読まれたそうです、

「医師が薦める本物の健康住宅」を。

そして、Nさまの終の棲家を津に建てるにあたって、「神様が宿る家」しかないと息子さんから電話があったそうです。

津には、全国厳選26社の一社、赤塚建設があるから訪ねていって建ててもらうようにと。

 

 早速、今日の午後ワシ、行ってきます。

大きな敷地があるそうです。

お話、しっかり聴いてきます。

一日でも長く、住めば住むほど元気になる本物の健康住宅に暮らしていただくために。

そして、その日々が、どんな場面でも笑顔でありますようにと祈りつつ