赤塚高仁ブログ「これでいいのだ!」

壮絶な人生

2012年07月21日

  ワシは、今回の人生でリーダーと呼べる人と出会えたことを幸せに思います。

リーダーのお父さんが亡くなり、通夜と告別式に出させていただいたのですが、なんと、リーダーから

「アカツカさん、弔辞お願い」って。

ワシは、これまでの人生で、お会いしたことのない方への弔辞ってのは初めてでして、いくら言い訳なしの澤田ファミリーでもキツイですよね。

でも、お父さんの遺影と向き合い、まだ近くに感じるお父さんの魂を感じているうちに言葉が出てくるようになりました。

  建築業界の人間と一切付き合いをせず、自分の力だけで優秀な経営をしてきた安藤建築の安藤社長が 「稀に見る天才」と澤田さんのことを賛美し、通夜と告別式、両方参列されています。

彼とは、20年来の付き合いになりますが、一旦帰る夜の道中から電話をよこして、澤田さんがみんなと一緒にいるって聞いた途端、飛んで還ってくるなんてことあり得なかったです。

人は、変わるものですね。

 

 さて、関市での葬儀のあと、信州は上田市に移動しました。

今は亡き我が師、糸川英夫博士の生誕100周年記念祭。

実行委員ですから、昨日から信州入りをしなければならなかったのですが、突然の出来事で動きも変えられてゆきます。

糸川博士も、ワシの新しいリーダーのことを天から喜んでくださっているに違いありません。

博士は、ずっとこう言っておられました。

「今は、一人の天才が時代を変える時代じゃない。

異質な人の組み合わせで、天才以上の成果をだすのです。」と。

糸川博士は、よく天才だと言われていましたが、本人が最も嫌いだったのが、天才だと言われることでした。

「僕は、努力してます。努力が見えない努力家のことを天才と呼ぶなら、まあ、いいですけど。」

 

 壮絶な人生、澤田さんのお父さん、澤田さん、糸川博士・・・

一見壮絶に思える人生も、当たり前の小さな毎日の積み重ね。

一所懸命、毎秒毎秒命懸け。

二度とない人生だから、ワシも一人でも多くの人に喜ばれて天に還ります。

生かしていただいてありがとうございます。

父の魂

2012年07月20日

  岐阜県は関市にいます。

北海道から鹿児島まで、全国から仲間が集まりました。

突然、天に帰ることを選んだ澤田さんのお父さんを見送るためです。

  ワシは、澤田さんのお父さんにお会いしたことはありません。

今回初めてお目にかかったのですが、もう、言葉をかけてはいただけません。

安らかなお顔で眠っておられましたから。

しかし、澤田さんは、酔うと必ずお父さんの話をしてくれます。

だから、ずっと前からお父さんのこと、知っていたような気がしてなりません。

「自分は、10ヶ月しか勤めた経験がない。でも、あらゆること、一切は親父から教えられた」

「無茶苦茶な親父だった、ちっちゃいときは親父が怖くて恐くて。」

壮絶なエピソードを聞くワシらは、いつもドキドキです。

 

   凄腕の大工の棟梁だったお父さんは、一貫して仕事でウソをつくなと教え、実践されました。

お父さんの生涯で、数々の作品を残されましたが、最高の作品が、ワシらのリーダー澤田升男という存在でしょうか。

澤田さんに育ててもらっているわしらも、お父さんの作品と言えるのかも知れません。

 

  「すまん。もうすぐ歩けなくなる。美智子の体が、俺の看病してたらもたない。今までさんんざん苦労かけてきたからこれ以上はかけれない。今までありがとう。世話になった。」

  自分が辛いから、苦しいからではなく、もうすぐ歩けなくなる自分がいると奥さんに苦労をかけないように、逝く。

それから遺書には、澤田さんに親孝行ありがとうとあり、地図が書いてあったそうです。

皆が探さなくていいように、寸分の狂いもなく、天に帰る場所が。

安らかな顔で、眠っているようだったと聞きました。

通夜の席上で、澤田さんは、そんなお父さんを誇りに思うと絞り出すように叫ばれました。

きっと、歩けなくなっても生きていて欲しかった、もっと仕事を見守って欲しかったに違いないのに。

澤田さんが、どれほど強く、深くお父さんを愛しておられたか、ワシが言葉にすることはできません。

しかし、参列した澤田ファミリーの胸に澤田さんのお父さんの魂が宿ったことは間違いないと思うのです。

一ミリのウソのない家づくり、日本の住宅革命、澤田さんが推奨するホンモノの健康住宅、全国に燎原の火の如く広がってゆけと願わずにいられません。

これから告別式です。

天高くワシらの父の魂が、光の世界に上がってゆきますように、魂のどん底から祈ります。

 

 

忘れずにいたいこと

2012年07月19日

  ワシの父が死んだ時、京都から友がかけつけてくれました。

わずか一坪のガレージセール、古着屋から商売を始めて、いまでは100億近い商いをする洋服屋です。

オーガニックのカフェMUMOKUTEKIも毎日行列ができているようです。

全国に店を持ち、300人を超えるスタッフを擁するリーダーが誰よりも先に津のワシのところに飛んできてくれました。

家族や親戚に紹介しようとすると「僕のことは空気やと思って、意識せんといてください」といって、朝からずっと通夜の席までいてくれました。

そばにいたいから、いさせてくださいって。

通夜の式が終わって、一旦帰った彼から「お兄ちゃん、大丈夫ですか?」とまた電話がありました。

一人で式場で親父と一緒にいるよと言ったら、「僕今からビール飲みに行っていいですか?!」って。

どこにいるの、と聞くと、もう京都の手前と言うから、もういいわありがとうと電話を切りました。

あとで奥さんが、その後ずっと戻ったらよかったって言い続けていたので「私が乗せていこうか」と言って、ようやく気が治まったと言ってました。

彼が、どれだけ忙しい男か知っているワシは、彼の心が伝わり救われました。

なぐさめも、涙もなく、ただ寄り添ってくれる友があるというのは、なんと豊かな人生なのだろうと思えます。

ヤギでもわかるのですから、男の中の男なら、そんな気持ちわかってもらえるにちがいありません。

ワシらのリーダーの優しさに、どれだけ多くの人が救われ生かされていることでしょうか。

何の役にも立たない、行動もしないヤギですが、せめてそこにいさせてもらいたいと願います。

 

 澤田升男という、住宅革命を起こした人物を世の中に送り出してくださったお父さんに感謝を申し上げます。

お父さんのおかげで、ワシは、澤田リーダーと出会わせていただけました

ワシは、人は、二度死ぬと思っています。

一度目は、肉体が終わるとき。

もう一度は、全ての人から忘れ去られる時。

お父さんのこと胸に刻みます。   感謝・合掌

 

 

 

 

眠れない夜

2012年07月18日

 夜中の3時にブログを書いています。

普段は、朝礼が終って一日がスタートするときに心に移りゆくことを書き記したりしています。

でも、この間の博多の澤田塾で澤田さんが「毎朝同じ時間にアップしろ、同じ時間に読みに来てくれる人のためだ」と言われました。

容易ではありませんが、毎朝アップできるようにしたいと念じています。

本当に、当たり前のことを当たり前に続けること、そこに命を注ぐことですね。

でないと、勝手に頭はありもしない「過去」にとらわれたり、「未来」の不安に呑みこまれてしまいます。

過去も未来も幻想。

「毎秒毎秒命がけ」、澤田さんがいる場所、「今」「ここ」こそ、エネルギーの「場」です。

 

 ずいぶん前からわが社の見学会に来てくださっている、あるお客様、お母様との2世帯住宅を計画させていただきました。

いろんな事情で、時間がかかりましたが、そのおかげで最幸のプランになりました。

AUデザインの安田さんの間取りを生み出す能力はすごいです。

5度プランも描き直しましたが、実に素晴らしいデザインの「神様が宿る家」が生まれることになりました。

一日も早く完成し、住めば住むほど元気なる新しい暮らしで、エネルギーを立ち上げていただきたいと願います。

ところが、住宅ローンを組むと土地を担保提供しなければならないと知って、不安だと言われます。

ローンを組めば担保設定するのは、まったく当たり前のことなのですが・・・

以前にも、「津波がきたらどうなります?」と心配されていました。

新聞に津の街が、津波が来たらこうなると発表したからとのことでした。

常に不安や、心配ごとを思いつかれます。無意識にそうされるのでしょうか。

どれだけ成功の条件が整っても、一歩踏み出さなければ夢は叶いません。

本気になって、考え方を変えて、歩きだす時に夢は実現するのでしょう。

次から次へと、できない理由を考え続けているうちにチャンスの神様は過ぎ去ってゆくのでしょうか。

このチャンスは、すごいものだとワシは感じています。

「神様が宿る家」にどれだけの人が出会えることでしょうか。

まだ、お断りをしたわけではありませんが、澤田さんのセミナー、現場完成見学会、ブログからのお問い合わせ・・・

小さな工務店であるワシの会社では、フル回転、目が回ります。

  澤田さんは、断る勇気を持てと仰います。

仕事を断った数が、ブランドとなる。

ただし、そのためにはお客様がたくさんいてくださらなければなりません。

グリーンライフグループの総裁は、去年一年で20件のお客様をお断りしたそうです。

予算が合っても、理念に合わないお客様はお断りされたそうです。

でも、本当にお互いのためを思ったら断る勇気も必要だと思えます。

もちろんお客様に不安があれば、ご契約に至ることはありませんし、お互いに選びあえる関係が大切ですね。

 

お客様を選ばせていただくなんて、一年前には、想像もできない状況です、運命は変えられました。

 

しかし、人がいません。

営業のホープ、本島康子は産休中。

電話対応日本一の鈴木君子さんは、御主人が病気のため仕事を続けることができず退社。

最幸のチャンスがやってきました。

大きく変わる時です、大変な恵みです。

夜中に、ハッと目が覚めます。

仕事のことでこんな風に心がいっぱいなんて、素敵なことです。

どうしたら真にお客様に喜んでいただけるか。 

もっと、強く、お客様が安心してくださるようないい会社にしたい。

すべては、お客様の笑顔と健康のためなのですから。

 

 名古屋のタヌキ親ぢがこんなブログ書いてます。

ヤバイですね、思わずいい人かと勘違いしそうじゃありませんか。

 

 

夢をあきらめないで

2012年07月17日

 東京は世田谷、糸川英夫博士が住んでおられた懐かしの場所があります。

ワシが29歳の7月のことでした、友人の紹介で糸川博士の御自宅での勉強会に参加させていただきました。

戦闘機「隼」の設計士、ロケット博士・・・そんな天才科学者の私塾のテキストは、なんと旧約聖書でした。

4000年前に書かれた、ユダヤ人の信仰の根っこ。

モーゼという偉大なリーダーが、エジプトで奴隷になっていたユダヤの民を率いて、40年間荒野をさまよい、ついに約束の地にたどり着く「出エジプト記」を糸川博士が解説してくれました。

人類史上最強のリーダーシップ論としての旧約聖書、すごく面白かった。

そして、ワシは押しかけ弟子となり、以来10年、糸川博士が昇天する時もそばにおいていただきました。

葬式もしてはならないと命じた博士です、美しい生き様でした。

 

 今年は、糸川英夫博士生誕100年記念の年です。

7月20日の博士の誕生日には、博士が移り住んだ信州上田市で記念のイベントがあります。

太陽系探査機はやぶさの中心人物、的川先生の講演(映画で西田敏行さんが演じましたね)。

糸川博士が愛してやまなかった世界的な和太鼓集団「鬼太鼓座」 のコンサート。

それからスペシャルな展示、糸川博士が45年間かけて80歳で完成させた奇蹟のバイオリン。

日本人の手で、ストラディバリウスを超えるバイオリンを!と、あらゆる作曲家の楽譜を分析し、作曲家が求める音がどれかつきとめて作られた世界でひとつだけのバイオリン。

糸川博士亡き後、行方不明になっていましたが、世田谷の自宅で発見されました。

その自宅、数年前に火事で建替えられたから、ホンマ、よく無事で見つかったものです。

ま、いろんなことがありましたが、ワシが取りに行って、ワシが運ぶなら貸すと息子さんが言われるので、借りに行って、信州上田まで運び屋をしたのであります。

そして、長野から名古屋に戻り、今朝はまた朝礼で気合を入れてスタート。

 

  「前例がないからやってみよう!」

糸川英夫博士の声が聞こえるようです。

難問が与えられても、その試練を通して成長してゆきたいものです。

生きることは戦いですね。

自分中心、自分だけが可愛い時、人は戦いません。

いまワシの人生で出会わせてもらったリーダー、澤田さんに学び、試練に耐えて、仲間を愛し、向上一路、本物の健康住宅で住まう家族を笑顔にし、幸せになっていただく。

糸川博士の、勇気と闘魂(ファイティングスピリット)、愛と真。

いままでの惰性を振り切って、古い自分から脱却します。

夢を描いて訪ねてくださるお客様に魂の底から喜んでいただくために、ワシらが成長しなければなりません。

できない理由を100通りも考えるよりも、前例がないからやってみようと一つの道を突破します。

今までの習慣、習性で同じことをくりかえすのはやめて、一線画して立ち上がります。

有言実行の人

2012年07月16日

言ったことは、絶対にやれよ。

男が一旦口にして、やれなかったら腹を切れ!

見苦しい生き方するんじゃないよ、日本人だろ。

ワシらのリーダーは、いつもそう言って、そう生きています。

 

 ワシは、ゼネコンの営業マン時代、上司から

「お前は、讃岐の釜揚げうどんや」と、よく言われました。

四国支店の営業部、香川県は高松に住んでいました。

さぬきの人は、毎日うどんを食べます。

喫茶店にもうどんがあります。

それはさておき、ワシがなんで釜揚げうどんやねんってことですが、

「湯ばっかり、ゆーーーだけ」やて

 

  言ったことは絶対やる。

だから、悩みなんかない。

つまらないことは考えない。

目の前のことに毎秒毎秒命懸けで取り組む。

だから、結果にとらわれない。

結果がどうであろうと、落ち込まない。調子に乗ることもない。

まさにその言葉通りに生きているのが、澤田リーダーであることは周知の事実です。

だからこそ、皆、澤田さんに魅せられ、ワシほどの我の強い傲慢な者も砕かれて、ハイと従うものに変えられてゆきます。

 

しかし、澤田さん

いったん口に出したことを必ずやる、しかも、成果の出るまでやり続ける。

それこそが、最大最高の才能ではないでしょうか。

成功者という概念を定義するならば、成果が出るまでやり続ける才能を持って生まれた者。

そう言ってもいいでしょうか。

澤田さんは、紛れもない天才です。

ワシにはわかる、天才は天才を知る。

あ、以前もそんなことブログに書いた日に、認定試験落ちたんやった。

 

 ワシは、澤田さんみたいに生きるのは、大変で苦しいことだと思っていました。

3パーセントの世界ですから。

しかし、97パーセントの普通の世界こそ、悩みと苦しみの世界だと思い始めています。

なぜなら、澤田さんの生き様にふれると、3パーセントの世界が垣間見え、本当のことがわかり始めてきたからです。

・・・普通はつらいよ

 

ウソのない澤田さんの生き方、ルックスはべつにして美しいわ。

ただね、澤田さんの間違いは、みんなが自分と同じようにできるって思っておられるとこ。

できひん、死んでまう。

容易ではない。

澤田さんは、センス、体力、瞬発力、洞察力、理解力、精神力、すべてが超人的。

でも、澤田ファミリーの先輩方、元普通の人が3パーセントの世界に入れられています。

言い訳なし、クイックレスポンス、仁義・・・

自我を捨てて、本気で努力すれば成果がついてくることを証してくれています。

ファミリーの中にあるとき、不思議と心は平安です。

見栄も外聞も地位も名誉も関係なく、人間として本当に大事な部分でのつながりがそこにあるからでしょうか。

澤田さんは、それぞれの個性を殺すようなことはしません。

みんながよくなればいいって笑っています。

 

せっかく生きているのですから、本当の生き方をしたいものですね。

伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ

2012年07月15日

  宇治山田の駅前の「大喜」という割烹で、電車の時間待ちをしています。

ワシは、皇室御用達のこのお店が大好きです。

というか、正式には、大好きだったと言わなきゃなんないのですが・・・

なぜなら、歴史が染み込んだ素敵なお店が取り壊され、選挙事務所のような仮店舗にワシはいるのです。

でも、今年11月に新店舗が、OPENです。

式年遷宮にのようにお店も新しくされてゆく、まさに伊勢は神宮と共にある日本人の聖地ですね。

 

ところで、 伊勢に来てるのは、神様が宿る家の設計と構造計算を受け持っていただいている南勢設計の伊東さん、Y工務店の天才工務担当Y専務とのミーティングのためでした。

30億近い年商の工務店が、ワシらの「神様が宿る家」のサポート態勢を整えてくれました。

伊東さんが、Y専務を紹介してくださったのです。

ワシは、Y専務に「神様が宿る家」が、どれほど素晴らしいものか、世直しになるか、熱く強く語りました。

そうしたら、目からウロコが落ちたとばかりに協力を約束してくれ、具体的な施工の打ち合わせとなったわけです。

本物の健康住宅、0宣言の神様が宿る家は、無敵の力です。

それにしても、赤塚建設とタッグを組んで歩んでくれる、南勢設計の伊東俊一さんの力は大きい。

あの小林正観さんの親友であり、三重県で二番目に大きい設計事務所を経営する伊東さんです。

その伊東さんが、ワシらのリーダー澤田升男に惚れた。

なんと、三重県に神様が宿る家を広めるため、超高価なコンピュータの設計ソフトを買ってくれました。

風水の勉強会に、はるばる東京まで出かけてくださる向学心。

新しいことにも喜んで取り組まれる素直さ。

そして、常に前向きなプラス発想。素敵なひとです。

 

「神様が宿る家」がうまれるまでには、多くの人の力が必要です。

しかも、人を選びます。

          学び好きであること。

          素直であること。

        プラス発想であること。

その伊東さんが、赤塚建設のパートナーとして結びつけてくれたY専務の、建築に対する情熱と、年間600件の見積もりをする超人的な能力に希望が沸かされます。

一軒でも多くの「神様が宿る家」をこの伊勢の地に生み出すために、命を懸けられることは幸せなことです。

 

日本の聖地、伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ。

津の空の下、天が恵んでくださった「神様が宿る家」をニコニコ顔で命懸け、年間20棟竣工、顔晴ってます。 

 

今を生きる

2012年07月14日

 リーダーからのお叱りは、もっともであり、それを言ってもらえるうちが華だなと思えます。

そして、つくづく思うのは、言われるよりも言う方が、はるかにしんどいってことです。

 

「別に嫌われたってどうってことないから、何でも言うけどさ・・」澤田リーダーは言われます。

 

へーーー強い人やな、嫌われるの平気なんや。

だから、毒舌なんや ・・・そう思っていた時期もありました。

全く人の気持ちもわからずに、言いたい放題、なんてデリカシーのない人間なんやろ。

そう思って、遠巻きに見てたのが遠い昔のようです。

 

 近づけば近づくほどに、澤田さんの繊細さに気づかされます。

懇親会などでは、誰一人見落とさず気を配り、全員の状態を把握しておられます。

自ら動き回り、話しかけ、空気を混ぜ合わせる姿に頭が下がります。

それに、一人ひとりのことも本当に良く憶えててくださいます。

「あ、それっていついつのブログに書いてた、あの人のことだよね。」って。

 

  食べるのもメチャクチャ速いし、よく怒りよく笑い、本当によく動かれます。

代わりのきかない、ワシらのクラブのリーダーです。

「もう来るな!」と、言いつつ誰一人、リーダーから手を離すことはありません。

 

毎秒毎秒真剣に生きている澤田リーダーだから、お世辞や綺麗ごとはありません。

どんな権威ある相手であろうと本音でガチンコ勝負です。

正直、ワシもヘコみます、しばしば落ち込みます。

しかし、澤田さんは、好き嫌いや利害を超えて、「良くなって欲しい」という思いからの言動なので、ワシは素直になれるのです。

そんな澤田リーダーにブログをほめてもらい、ワシのような三日坊主が一日も欠かさず更新し続けていることは、奇蹟ですね。

奇蹟が、奇跡を呼び、次々とお客様がご来社くださいます。

安藤建築の安藤社長も(今日はリンク張らない。悔しいほどブログ上手いんだもの)ワシが、絶対ブログ毎日更新したらいいよって言ったら、ずっと書き続けています。

彼も、一旦謙虚になれば即動くすごい奴です。

 

三ヶ月毎日書き続けたら、間違いなく新しい世界の扉が開きます。

よく、書かない人が、どうしてかわるのですか?と質問されれますが、書かなければわかりません。

書けば、質問する必要がなくなります。

ただ、ワシは、澤田さんのように毎朝一にアップできていません。

澤田さんは、朝にブログ見に来てくれる人のために、朝一でアップするんだよ、期待を裏切っちゃダメだから。  当たり前でしょ、って。

見習います、と言いつつ昼にこのブログを書いてるワシ。

まだまだだなぁ。

 

  まず動く。

          ちょっと考える。

  また動く。

       今に生きるとき、運命は拓けてゆくのでしょう。

愛の嵐

2012年07月13日

  澤田塾、福岡合同コンサルは、澤田先生のカミナリで何人も死にました。

澤田先生からも、「死んでしまってください、あなたのような人間がいると世の中に迷惑がかかります」と言われました。

ワシは、その筆頭、A級戦犯のようなものでした。

 

  澤田先生は、某タマ○ームとか、異業種のコンサルでも抜群の実績を出し、億を超す報酬を得ておられました。

澤田さんにとって、お金を稼ぐなんて朝飯前のお茶漬けサラサラ、簡単なことなのでしょう。

それは、ノウハウではなく、モノごとの本質、原理原則を見抜く能力が備わっているからだと思えます。

知識ではなく、才能・・・天賦の才、まさに天才と呼ぶにふさわしい力です。

半世紀、この世に生かされてきて、これほどのパワーの人物にお目にかかったことはありません。

何時の間にか、自分勝手に作り上げた「私」という錯覚の中に安住しようとしていたワシの人生に、天が下した賜物でしょうか。

 

 なんて、一夜明けて、博多から名古屋へ、そして、津に向かう船の中だから落ち着いてブログ書いていられます。

昨日の澤田さんの怒りは、半端なモノじゃありませんでした。

澤田さんにしてみれば、簡単なことでも、ワシにしてみれば容易ではありません。

キャッチボールもできないのか!と怒られますが、グローブもつけたことのない人間に、ダルビッシュの球を受けてみよって!!

球を受け損ない、申し訳ないことでした。 

でも、本当に大事なことはシンプルなことだったのです。

ただ、あたりまえのことをあたりまえにやる、

やると言った事は、命懸けでやる。

できなきゃ腹を切る覚悟でやる。

それをやった澤田ファミリー、とりわけこの人は完璧にどこに行っても花が咲かせられる人間になった。

そう澤田さんは、目を細めて仰います。

澤田ファミリーの先輩のこの方の資料は、すごかったから発表が聞きたかったです。

先輩方の感想は、「澤田さんもまるくなったなぁ、以前なら机に穴があいてたよな」ですって。

どんなキックやねん。

 

ワシは成長したいです。

ワシのような者が、率いる小さな工務店に、次々とお客様がきてくださいます。

生涯支払い続ける住宅ローンをを背負ってでも、一生で一番大きな買い物といえる家を、ワシのところから買ってくださいます。

大きなハウスメーカーでなく、赤塚建設を選んでくださるのです。

かたじけないことです。

 

   澤田さんが、吠えるように叱るのは、そんなお客様が安心してもらえるように、工務店によくなってもらいたい、ただ、その願いだけ。

自分自身の損得勘定を超えて、大きな志に活かされる、かけがえのないリーダーです。

今、ワシにできること、このブログを一日も休まず書き続けること。

そして、できることを一つずつ増やしていきます。

 

 澤田さんが、みんなに言ってくれた一言が、今、胸の中で輝き光を放っています。

 

                     「信じてる」

 

 

PS. 産休中の本島隊員に、昨日の午後、男の子が生まれました。

彼女が復帰する時には、もっともっと素晴らしき会社に成長しています。

本島康子が、喜んで働ける職場で幸せになれるよう、今日も顔晴ります。

何処に行くかより、誰と行くか

2012年07月12日

    西へと向かう列車です。

澤田ファミリーの一員となって、ヒガシヘニシヘと走ってる間にずいぶんポイントがたまり、新幹線グリーン車に乗せてもらえることになりました。

名古屋から、博多まで静かな読書の時間、あるいは、経営計画の時間に恵まれた・・・と喜んでおりました。

ところが、飛行機で博多入りすると思ってたショーグン様から「アカツカさん、どうやって行くの(^-^)/?」って電話。

ワシは、新幹線よ、って答えると

「じゃあ、俺もそれに乗る、で、席は?」

予約した席を連絡いたしました。

しばらくしたら「アカツカさん、席変えて、一緒に座るから」

ワシは、早割で安く買ったチケットをキャンセルし、澤田先生 の正面の席を正規料金で取り直したのです。

人生、一寸先は光であります。

 

  さて、今日は澤田塾でして、

合同コンサルの二回目、ロジカルに思考し、具体的に行動する。

どういうことかというと、蝶のように舞い、蜂のように刺す。

言い換えると、明日のために、その1  脇を締め、やや内角をえぐり込むように打つべし、打つべし、ってことか。

新しい考え方を身につけるためには、新しい考え方を生きてみることでしょうか。

要するに、今まで、ほとんど使ってこなかった脳の回路を開き、スイッチをオンにして、成果をあげていきましょうということです。

「みんながよくなりゃいいじゃん!」

澤田さんの口ぐせです。

42度の熱があっても、倒れそうに腰が痛くても4時間のセミナー休みません。

号泣する主催者に、「ゴメン、感動できるエネルギー残ってないから、今日は一緒に喜べなくてすまん。」という澤田さんです。

博多のコンサルも、全国何処に行くのも、みんなができるだけ少ない負担で学び、変わり、行動し、強い会社になり、お客様を守るためです。

これだけ成果の出るセミナー、コンサルティング、世界の何処にあるでしょうか。しかも、無料です。

澤田さん、ノーギャラ。

お金にならないことを一切やらない、儲からないから、と誇らしげにいう先生があります。

とても、小さく惨めに見えます。

 

教えを受けることも大事ですが、そばでエネルギーを感じることはとてつもなく大きな恵みでしょう。

音叉が共振するように、その人の命の振動と響き合うとき、人は深いところで変わり始めるのでしょう。

新幹線は、京都を過ぎました。

新大阪で、澤田さんは乗ってこられます。

素直な心で受けとめたいと思います。

何処へ行くかより、誰と行くかが人生の醍醐味だから。